中国紀行5・・喀什〜吐魯番

 喀什に着いた翌日は、すっきりした目覚めでした。ここんとこ毎日、陽が昇る前に起きていたので、眠くて仕方がなかった。
 時計を見たら、時刻は「11時」を指していた・・いつもより4時間以上寝ていた事に・・・。
 お腹が減って起きたとも言われる位、第一声はお腹の「グー」だった。
 丁度、ドミの部屋におばちゃんが酸牛乃(ヨーグルト)を売りに来て、「ドンブリ1杯、5角」だと言うので、1杯買って食べる。程よい酸味で美味しいが、「砂糖頂戴」と言うと、更に「5角くれ」と言われた・・商売上手。
 その後、宿の傍で、焼きたてのナンを買って朝食にした。これが2角、安いね・・・
 庫車から一緒になったY君は、お腹の調子が今ひとつらしい。昔から潰瘍の気があるらしく、腹痛を訴えていた。「今日は、ゆっくり静養しいよ」と言葉を残し、街へ飛び出した。(この後、すごい事になるとは、このときは思いもしなかった)
 昨日は、長旅の疲れで、街中には全然出てないので、今日は歩いて街まで行ってみようと思った。
 回りの景色を見ながら、ふらふらと歩いて行く。日干し煉瓦の赤や黄土色が全体のトーンを抑えている。すぐに土に戻ってしまいそうなそんな街並みが続いた。
 しかし、街中に近づくと、綺麗な百貨大楼があり、アーケードバザールがあった。アーケードバザールの中は、人が一人歩ける位の道を残して、両脇に店が立ち並んでいた。服飾関係のものがほとんどで、モスリム帽やウイグルの着ている軽めの服が原色で並んでいた。
 アーケード・バザールを抜けると、そこは、エイティガール寺院の前・・少し中を覗かせてもらったが、生憎、祈りの時間で無かったので、静かな空間が広がっていただけでした。
 外に出て、広場に座っていると、「チェンジマネー」の声・・今の処、まだあったので「不要」と言って、ほっておいたら、どんどんレートが上がり、「190」の声を初めて聞いた。(ドミにいたヨーロピアンが喀什じゃ190〜195でチェンジ出来ると話していたのも、まんざら嘘ではないらしい)
 雑貨のバザールを探そうと、歩いていくがなかなか探せず、途中の百貨大楼で煙草を買った。
 「鮮花」という銘柄だが、中国にしては、カラフルなパッケージだった。2個買ってお金を渡すときに1分足りないらしく、「没有」と言ったら、まけてくれた。(ちょっと得した気分、高々20銭なのに・・・)
 近くの食堂で昼を食べ、ふらふらと、街中を歩いていく。そろそろホテルに戻るか・・・と歩いていくと、一人のドンキー小僧が話しかけてき「乗っていかないか?」と言うので、「无銭?我想去至老賓館(ただかい?、老ホテルまで行きたいんだけど)」と聞くと、うなずく。それなら、乗せてもらおうと荷台に乗っかる。
 程よい揺れで気持がいいし、スピードが遅いため、廻りの景色が良く見えた。しかし、行けども行けども老賓館は見えず、小僧に聞いたら「タシュクルガンに行く道だよ・・・・」、それじゃホテルに戻れないじゃないか・・・下ろしてもらい、来た道をまた戻っていく。
 小道を右に左に曲がりながら、どうにかホテルに着いたのが午後の3時過ぎだった。
 部屋に戻ると、広いドミの中で一人、Y君はダウンしていて「病院に行く」と言う。
 最初は、「民族病院」に一緒に行ったのだが、既に体力を無くしており、道程は遠かった。民族病院は、薄暗く、ウイグル人で溢れていた。今、流行の伝染病の影響かもしれない・・・。院内をあちこち連れ回されて、Y君もぐったりなっていたが、色々と検査をした結果、重症らしい・・先生が、紙に書いた言葉は、「伝染病院で再検査しなさい」
 民族病院を出て、ドンキーを拾う、伝染病院まで2人で2角で交渉(交渉決裂になったら、大変な時なのに、交渉してしまった)し、ドンキーにまた揺られる。この頃、既にY君は完全にダウンしていた。下痢がひどいらしく、体力が失われていた。
 伝染病院に行くと、また、色々と検査をして薬を調合してくれる。診察中に発熱までしたため、解熱剤の注射のおまけもついた。
 一応、診察が終わり、「帰っていいよ・・・」と言われてホッとしたが、最後に「今晩、熱が下がらなかったら、あそこに入院になります」と指差した先は「隔離病棟」・・・まだ、伝染病かどうか判断付いてないらしい。(僕も入院になるんだろうか?)
 少し、持ち直したようでY君と一緒に歩いて宿に戻る。
 寒いと言うので、宿で毛布を借りて掛ける。これで寒くは無いだろう・・・でも、熱が下がらなきゃ入院か・・・大同で寝込んだ妹の時と一緒なのかな、無理がたたっているのかな・・・・・。
 夕飯は、まだ外に出る元気なく、一人で食べに出掛け、帰りに食えそうな缶詰とか月餅を買出ししてくる。少し缶詰を食べたが、まだよくないらしく、腹を抱えて寝ていた。
 Y君には、「今晩、熱が下がらなかったら隔離病棟に入院だってさ・・・」と伝えると、「気力で熱、下げます」だって・・・。
 今日入ってきた香港人がうるさくて、仕方がなかった・・こっちは病人がいるんだから!と思ったが、そんなこと気にする民族じゃなかった・・・仕方ない
 
 翌日も、ゆっくり起き出した。暑さのため、何となく何もする気が起きない。しかし、お腹は減るもので近くのナン屋に行って、ナンを2枚買ってくる。少し塩味の付いたナンが美味しい。
 Y君も少し元気が出てきたようで、「お腹が減った」と言うので、昨日買出ししてきた月餅を渡すと、美味しそうに食べていた。
 食べ終わると、二人揃って病院に行く準備をする。昨日、クスリの他に注射液のアンプルをくれた。それを持って通院しなさいと言われていたのだ。(日本では考えられないシステムだが、間違えることは無いかも・・)
 病院が近くて良かった。Y君と二人で行くと、おばちゃん先生が「好マ?(良くなった?)」と聞くので、「比昨天、好!(昨日より、良くなったよ)」と、言うと良かったって顔をした。(ありがとう)
 診察室で注射をしたら、終り、「帰っていい」と言う。「また、4時に注射打ちに来なさい」との事、時計を見ると1時間遅れている・・・サマータイムが終わったんだ。自分の時計を1時間遅らせる。
 ホテルでぼーっとしている。ここ喀什は、まだ夏の形相です。日中は、外に出るとチリチリと暑さの為に音がしそうです。
 昼は1階にあるレストランで済まし、また、ベットの上で本を読みながら過ごす。
 そうこうしてると、時計の針が4時を指そうとしていたので、また、お出かけの準備。アンプルを持って通院する。Y君も、幾分良くなってきているようで、足取りが確かになってきた。
 異国の地で、病気になるのは心細いだろうし、心配にもなる。少しでも安心するようなら、看病してやろうと、思った。
 僕の場合、少しの休養があれば、なんとかなる体みたいですから、自分の心配はしていないんですが・・・・。
 夕方の注射で、隔離病棟の入院は無くなったみたいで一安心。病院からの帰り道も暑かった、紫外線が強いのか、焼けるような暑さです。その分、部屋が涼しく感じるんです。
 8時過ぎに夕食に出掛ける。Y君も食べられそうなので、一緒に出掛けた。おかずとご飯で食事、何人かで食べないと中華は美味しくないね、やっぱり。久しぶり、ゆっくりご飯を食べた気がする。
 しかし、和田(ホータン)に、行くのは絶望的です。病気が流行っている(伝染病らしい)との理由で、パーミットがもらえない。公安も駄目だの一点張り、「潜り込んで行けるよ」と言うが、地元の連中は、移動証明書を持っていた。それが無いとバスの切符が買えないらしい。
 仕方ない・・まだまだ、旅は続く。これから敦煌からチベットがある。どうやらチベットは入れそうな情報だし。

 今日で日本を出て70日目、2ヶ月経ったんだけど、時間の感覚がおかしい、そんなに経ってない気がしている。きっと、移動続きで、景色が違ってきているので、そんな気がしないんだろう。
 喀什には5日後のサンデーバザールまでいるつもりなので、ゆっくり観光と便り書きをしようと思ってる。中国の西域にある町(中国という国はここでは感じられない位、民族色が強いです)からの便りなら郷愁を誘う文章が書けるでしょう。
 その日は、一日中、ベットの上で便り書きに没頭。しかし、10時と4時の病院には、今日もお供したが・・・。
 夕食から戻って、部屋で寛いでいると、いきなり停電した。他もそうかとみると、僕らの部屋だけだった。
 下へ降りて、フロントに話に行くが、なにやらパキスタン人と揉めている。ここは、パキスタンの国境に近いため、パキスタン人がたくさんいるが、ウイグル人と上手くいっていないみたいな感じがする。
 その中に分け入って「電気点けてくれよ」と頼むが、ローソクを1本くれて「今天、没有了(今日は、もうお終い)」と言ったっきり、取り付く島もない。ゆっくりしようかと思ったが、強制的に早寝にさせられてしまった。

 同室だったヨーロピアンが、ヒッチハイクで吐魯番に行くと言って出て行ったのは、翌日の朝だった。本当にこの中国でヒッチハイクなぞ出来るものなのか見当も付かない。でも、彼は意気揚々と部屋を出て行った。
 ドミの部屋は、知らない同士が友達になれる社交場みたいなものかもしれない。
 初めて入る時は、昔からいる人に情報をもらい、また、新しく入ってきた人に情報を渡していく。いろんな人がいて、不得手な人もいるが、ワイワイ楽しく出来る事が多いかな。
 この街にも、知り合いが増えて、挨拶することが多い、今日は知り合いが、「和田の最高級絨毯」なる物を買ってきた。値段を聞いてびっくり、兌換券(FEC)700元(28000円位)
 僕も詳しいほうでないが、ネパールで相当、絨毯を見せられたので少しは良し悪しが分かるようになった。
 申し訳ないが最高級には程遠い品だったが、あえて口は出さないようにしようと、言葉を呑みこんだ。しかし、その金銭感覚についていけない。

 翌日は、拉薩に行くと言うY君の友達が尋ねてきて一緒に病院に行く。蕁麻疹が出たので、一度病院で見てもらうと言っていた。
 1時間くらいして二人は戻ってきたので、一緒に朝食に出掛ける。
 なんでも、友誼飯店のレストランが美味しいとの評判、一度行ってみようと話が纏まった(とは言っても、時計は既に12時を指そうとしていた)。Y君のリハビリも兼ねて、ゆっくり歩いていく。レストランは、結構綺麗なところで、メニューには洋食が載っている。久しぶり〜、中華以外のものを食べたのは何時だっただろうか?・・・(北京のケーキ以来か・・・・)
 お勧めの5元のブレックファーストと注文。目玉焼きは美味しかったが、パンはナンでした。
 確かにお腹一杯になったが、いつも食べている中華のほうが美味しいと感じたのは僕だけだったんだろうか?ちょっと、皆の評判に「?」が付いた。
 バザールに行くのは初めてのY君を案内して、街中を行く。バザールの中は人が多く、写真も思うように撮れない。
 一眼レフの特性を生かして少し写真を撮る(レンズを28ミリにして絞りをF8以上にするとパンフォーカスでピントがほとんどの領域に合う、この特性を利用してファインダーを覗かずにショッターを切った)
 淡水パールをお土産に物色していたY君、1個10元の物を2個16元で買っていた。
 バザールを抜けるとエイティガール寺院の前、今日はお祈りの時間らしく門が解き放たれていた。
 中に入れてもらうと、無数の柱と祈る人々で埋め尽くされていた。ちょっと鳥肌が立つくらい震えた。
 そうしていると、一人のじいちゃんが来て、下を指しながら「駄目」の表情。
 どうも短パンがいけないらしい。(イスラムの戒律に関係してる?)
 門の外に出て座っていると、今度は子供達に囲まれる。屈託の無い顔を皆している。
 生活のレベルに関係なく、顔の表情で幸せかどうか分かる。この子達は、幸せそうな顔をしている。
 言葉にならない言葉で、会話をしたりカメラを覗かしたりして、時を過ごした。
 バザールに向け、腰を上げたのは、いい時間だった。バザールの中は、静かに時が流れていてのんびりムード。その中で「ナイフ屋」だけが盛んに客引きをしていた。まだ、買う気が無かったので、「不要」とだけ言って相手にしなかった。
 中は迷路状態で、大通りに出ようと思ったら、路地に迷い込んでしまった。表とは一線を引いたようなモノトーンな世界が、そこには広がっていた。
 やっと大通りに出て、郵電局に向かう。昨日書いた絵葉書を出さないといけない。切手は1枚1.3元(50円位)12枚分15.6元・・(600円位)、大口出費です。
 少し遅い昼飯を食べようと、「地球の歩き方」に載っていた店で、お勧めの「ミートボール」と「炒飯」をオーダー。しかし、「味が無い・・」おっちゃんを呼んで塩を貰い、味付けをする。どうして、こう味の無い店が多いんだろうか・・・不思議?
 その後、町を歩きながら、あちこち覗いていく。
 宿に戻ってからは、Y君を病院に送り出してぼーっとする。Y君の病気はどうも「腸炎」らしい。吐魯番の街で、葡萄をたくさん食べたらしく、それがいけなかったようだ。でも、伝染病でなく、ほっと一安心した。

 翌日、Y君を日課のように病院に送り出し、その間に、焼きたてのナンを買いに行く。焼きたてが無く、少し釜の傍で待って、買って戻ると、頃合い良くY君も病院から戻ってくる。
 ナンで朝食にして、11時頃に宿を出る。今日は、銀行にも行かないといけないので(FECが少なくなってきたので、両替をしようと思った)「パスポートをくれ」と言うと、「今までの宿賃を払え」と言う。確かに、ごもっとも・・・宿賃を精算(7泊分、人民元で42元(850円位)だった、安いな)すると、おもむろにパスポートを出してきてくれた。
 1時間7角5分(約15円)自行車(自転車)を借りて、市内観光に走り出した。
 まず、Y君が中国民航で「喀什→烏魯木斉のチケットを買いたい」と言うので、民航のオフィスに向かった。
 Y君がチケットを買っている間、隣にあったテレビを見ると、丁度、ソウルオリンピックの開会式が行われていた。
 「とうとう、オリンピックが始まったんだ」と思うが、何処か現実感がない。帰る頃には、終わっているんだろうから、今回のオリンピックは無かったも同然・・・。
 今回のオリンピックで生まれるヒーロー・ヒロインは誰なんでしょうね、日本人の観戦ツアーもたくさん組まれているんだろうな・・と思うが、今のこの状況からは、オリンピックなんて無縁の存在です。
 Y君がチケットを手に戻ってくるが、浮かない顔をしている。来週の土曜日までフライトが取れないらしい。
 後、1週間もここに足止めになる。でも、まだ、あの過酷なバスで戻るのは、体力が戻ってないのだから仕方ない。
 気を取り直して、観光に向かう。まずは、一番遠い「ホージャ墳」。きつい上り坂を登って、迷いながら(地図なんて手書きの簡単な物しかないから、仕方ないのだが)到着。
 すると、チケットを売っていた小僧が「那国人?」と聞いてくる。
 「日本人」
だと言うと絶対、外国人料金を払わないといけないと思い「香港来了」と香港人の振りをすると「1个人、2角銭」と返ってくる。自転車の駐車代も合わせて3角(6円位)で中に入る。(後で分かったことだが、外国人料金は1元でFEC払い・・すると約10倍の値段、ぼってるよ・・・とは言え、40円位か。)
 ホージャ墳は色タイルで綺麗に装飾され、廻りにはコスモスが咲いていた。中には、棺桶型のお墓が整然と並び、一人のお墓でなく、ホージャ一族の共同墓地になっているらしい。
 ここでは、土葬なのだろうか?火葬なのだろうか? そんな疑問が、ふと、頭に浮かんだ。
 次々と市内観光地(観光地と呼べるのか?という処もあったが)を廻り、あっという間に市内に戻ってくる。
 途中、闇チェンをする。194で200元して、一気にお金持ちになる。ここ喀什のレートは他の何処に比べてもいいし、ちゃんと出てくるので安心です(他の処は、すぐ誤魔化そうとする)。どうしてこんなに高いレートが出るのか不思議な位です、国境近くの街ですからね。
 職人街で、楽器店を覗いて廻る。知り合いの一人が胡弓のような民族楽器を買っていた。高くないの?と心配しちゃう位、買って行きます。僕は、子供達の顔を、写真に収めていた。こっちは、ただ・・・。
 その後、銀行でT/Cを替えてFECを手に入れる。今日は闇チェンしたので、FECがなくなって来ていた。烏魯木斉よりレートは良くなってますが、まだまだ低い感じがします。
 宿に戻り、自転車を精算すると6元でした(よく分からない料金体系)、儲かったのか、損したのか・・・。

 翌日は、待ちに待った「サンデーバザール」の日。
 朝、10時頃には起きて、馬車に乗っていざバザールへ。馬車は稼ぎ時なのか、めちゃくちゃ吹っ掛けてきて、交渉するも3人で一人1元が限界でした。(それでも、随分、高かったようです。)
 馬車に揺られて喀什の街を行く。荷台からカメラを構え、数カットを収める。
 バザールに着いてみると、そこは昨日、通った道。「バザールは何処だ?」と探しながら歩いていく。
 喀什のサンデーバザールはここら辺りでは大きなバザールなので、すぐ見つかるかと思ったら、道路に面している処はそうでもなく、奥に広がっていました。
 人の出は、明治神宮の初詣位はありそうで、しかも、ドンキーもリヤカーもいて、ごった返してます。
 今日のお目当ては、絨毯、僕ではなくY君。バザールの中に入っていくと、日用品から装飾品まで、数多く取り揃っていた。一つ一つ見ていたら、一日では見切れないので、流し気味に歩いていく。
 お腹が減ってきたので、麺包(パン)を買って食べたら、美味しかった。が、物足りない気がして他の店を物色。丁度、開けたばかりの麺屋を見つけ「拉麺」を頼む、1元と安かったが、肉を捜すのが困難な位な素うどんだった。
 少し休憩をしていたら、日本語を話すフランス人が入ってきた。
 日本で1年位、フランス料理店のウェイターをしていたらしいが、日本人気質を既に身に着けていた。
 外国人が日本語を話すのも違和感があるが、気質まで身に着けられちゃうと、「何処の人です?」って聞きたくなるほど。
 最後も「どーも、どーも、お邪魔しました また、今度会いましょう」と言って出て行った。
 1時過ぎに再突入し、絨毯を探すが、このバザールには絨毯は無いみたい。帽子や服はあるんだが・・・
 Y君が「帽子が欲しい」との要望に、帽子屋を探し、探し当てたら、手に持てない位の帽子を買い込んでいた。お土産も大変だ・・・それを包む布も買い込んでお買い物を終わる。
 でも、さすがに週1回のサンデーバザール、ウイグル人のパワーは、すごい。近隣は許より遠方からもたくさん来ている。
 バザールも幾つかのエリアに分かれているみたいで、ヤクや羊、駱駝を扱った動物バザールや、憩いの場的なサーカスをやっていたエリアなど。
 案内図などあれば、いいのだが、そんなものは存在するわけ無く、みんな頭の中に地図があるんだろうな・・・。
 帰りのドンキーは一人5角であっさり交渉成立し、エイティガール寺院まで。
 途中で、絨毯バザールを見つけた、やっぱり違うところにあったんだ。途中下車して、覗きながら物色する。
 今日は下見なのか、品を見るだけでバザールを離れた。
 宿に戻ると既に6時を廻っており、随分、外に出ていた事になるな・・・。明日は、吐魯番に戻るチケットを買いに行かなくては。

 翌日は、久しぶり、ばあちゃんのヨーグルトで朝食にし、行動開始。長途汽車站(長距離バスターミナル)まで、散歩がてら歩いて行く。
 宿からは、少し距離があるが、懐かしのバスターミナルにたどり着く。
 中に入ると、吐魯番行きは、大河沿(街ではなく火車站近くのバスターミナル)行きのものしかない。街中行きのバスは無いのか、探していると、窓口にウイグル人が押し寄せてきた。その人たちの手には「臨時通行証」が握られている。ウイグル人は、伝染病蔓延のため、外に出るのに通行証が必要なんだ、これは、また外国人料金でチケットを買わないといけないんだな・・また、多額の出費が
 いつまで経っても、ウイグル人が減らず、めげてしまった。今日の購入はやめた・・明日にしよう。
 また、バザールの中を歩き廻り、お店をあちこち見て歩く。お腹も減ってきたので、「ジェーファン(羊の肉の入った油で炒めたピラフみたいなもの)」を頼んだ。以前、食べようと思ったら、えらく高かったので、食べ損なった。ここは、1元で安いです。おかずを数皿、別に貰って一緒に食べた。(おかずは無料にしてくれたんです、ラッキー)
 食後、おっちゃんが闇チェンを持ちかけてきた、195の声に100元替えてしまった。
 今晩は、Y君が一緒に旅したカナダ人のケンが、パーティーをしようと声を掛けてきていた。
 いつもの食堂で南彊ビールを飲みながら休憩していて、8時頃、チネバ賓館に馬車で行く、一人2角が相場らしい。一人2角はすぐ成立し、夕闇の喀什の街を馬車に揺られる。
 チネバは街中にあり、ホテル棟とドミトリー棟が分かれていた。入り口がなかなか分からず探したが、ドミの階段をやっと見つけた。
 階段を登ると、ケンは待っていた。英語と日本語で会話をし、夕飯を食べに行くことに。
 夕飯は、いつもの食堂まで戻り、この時6人になっていたメンバーで会食。
 いつもなら一人一皿であとは、ご飯があれば腹いっぱいになるのだが、この時は違っていた。6人で9皿の料理を頼み、更にご飯とビール・・・、良く食う外人たち。(一人8元はなかなか食わない)
 食事の後は、隣の店でビールを15本買出しして、チネバ賓館に戻った。ドミトリー棟の屋上でパーティーをしていたが、眺めが結構良かった。土色した喀什の街が暮れていくのが綺麗に見えた。
 このパーティーも最初は良かったが、次第に寒くなり、お開きは北京時間Am2時(新彊時間Am0時)。その頃は真っ暗で寒くて、外には馬車もいず、テクテク宿まで歩いて帰った。
 戻ってみると、宿の門は閉ざされていた。(さすがに、この時間に開いていると反対に怖い)
 ドアをガチャガチャやっていたら、お姉ちゃんが出てきてくれて、鍵を開けてくれた。ごめんなさい、この時ほど暖かい毛布が心地よいと思ったことは無かった。本当に、寒かったよ・・・。

 今日は、昨日(と言うより今朝)のパーティーの影響か遅い目覚めだった。周りに目をやると、みんな眠そうにベットの上に座っていた。
 とうとう喀什10日目、長居しちゃったな〜。でも、この街も中国らしくなく、遠くペルシャの風が吹いているようです。「シルクロード」によって繋がっているんだ・・・と実感します。
 ぼーっとしていても始まらないので、チケットを買いに行こうと動き出したのは、11時を廻った頃だった。
 今日も銀行に行こうと思ったので、宿からパスポートを貰い、出発。
 1万円のT/Cが少なくなったので、2万円のT/Cを切る(レートはこの前と同じ、550元位を手に入れる)
 銀行を出ると、すぐ闇チェンの声、最初160の声に「ここで190以下のレートなんか無いじゃないかよ」と言って相手にしなかったら、どんどんレートを上げてきた。そうなると、交渉しなくちゃ・・195で粘るが「駄目だ」の返事、「じゃいらない」と歩き出すと「OK」の声・・・最初から言えよ。
 200元替えて390元の人民元を手に入れる。とうとう人民元が1000元を越えた。当分、闇チェンしなくてもいい感じ。出来れば、後、1〜2回で済めばいいのだが・・・。(しかし、頭にきたのは、すぐ後にS君が闇チェンしたら196だって・・・すぐレートを変えるな〜)
 今日の汽車站は、すんなり切符が買えた。ただし、FEC払いで39.3元(1600円位)、出発時間は、北京時間の朝8時半と言う事は、新彊時間の朝6時半・・・夜中じゃん)、眩暈がした、明日は早起きしなくちゃ・・・。
 汽車站の傍で、お昼と食べて、懸案の絨毯バザールに乗り込む。あちこち見て廻り、1軒の店で気に入った絨毯を見つけたようだ。
 今日のY君は、頑張っていた。しかし、百戦錬磨の親父も、あの手この手で価格の撹乱作戦に出た。
 「550元」の物を交渉していたが、なかなか折り合いがつかず、硬直状態に。Y君から「400元」の声を聞いた親父は、すかさず「OK]の返事。軍配は親父に上がったようだ。
 もう少し安く買えたのかもしれないが、良しとしようじゃないか・・・。
 僕も一つ買い物がしたかった。バザールの中でいつも見ていた「ナイフ」。柄の所に細工がしてある1本15元くらいのもの。それを交渉して9元で購入。こちらの親父は渋い顔をしていた。儲からなくてごめん。
 ナイフは幾つか買おうかと思っていたが、「良く切れる」と自慢したいのか、鉄を削って見せてくれるので、刃がこぼれちゃっている。せっかくのナイフの刃がぼろぼろじゃ・・・・買えないよ、それは。
 帰りがけ、ハミ瓜が売っていた。久しぶり食べてなかったので、買おうと値段を聞いたら「1ヶ2元」・・2個買って抱えて宿に戻った。
 宿に戻って、ナイフを入れると、綺麗なオレンジ色。上の美味しい所だけ食べても、2人で1個で腹一杯。もう一つは、洗面器を借りてきて水を入れて冷やしていた。
 Y君が戻ってきたので、一緒に、最後の晩飯をいつもの処に食べに行った。喀什も今日で最後か・・・ちょっと淋しい気もするが、まだ先がある。
 明日は、本当に早起きしなくちゃ・・・荷物をしっかりパッキング(明日からまたバスの荷台に括り付けられる運命なのだから)し、いらない物をY君に少し持って帰ってもらおうと渡す。
 また、今度来るときはパキスタンに抜けたいですね、クンジュラブ峠を越えて、カラコルム・ハイウェイを走りたいと思います。

 翌日は、本当に早起きで6時半のアラームで起き出すが、外はまだ真っ暗です。
 一度、明かりをつけて、最終確認をして、Y君、S君に挨拶をして部屋を出た。
 玄関はまだ閉まっており、お姉ちゃんを起こして開けてもらう。外は、まだ寒く人も歩いていない(この時間に歩いていないよ、ここじゃ)
 馬車がいたので、「汽車站までいくら?」と聞くと「5元」と吹っ掛けてくる、「高いよ」と声を掛け、一人暗い夜道を歩き出す。
 歩いていくとなにやら暗闇にうごめく物を発見、近づいてみると、たくさんのロバ車や馬車だった。荷台には野菜を積んでおり、このような野菜類はバザールに行かず、ここで取引がされているようだ。
 すごい景観でした、ここにも、喀什のバザールがありました。
 7時半頃に汽車站に到着。まだ、店も開いてないが、中国人はたくさんいた。油条(油であげたドーナツみたいなもの)を売りにきたので、2ヶ3角で買って朝食にする。揚げたてで美味しかった。
 8時頃に、中へ入ろうとしたら、「站台票(入場券)を買いなさい」と係員に言われ、「5分(1円位)」で買って中に入ると、吐魯番雪のバスがいた(正確にいうと大河沿汽車站行き、僕が乗りたいのは吐魯番汽車站行きなのだが)
 行李(荷物代)で更に4角取られ、荷物を屋根に乗せ、バスに乗り込んで待っていた。しかし、違うバスだと言われ、皆で大移動。中国人もブーイングだった。(屋根に乗せた荷物をまた積み替えないといけないのだから)
 移動したバスの出発が遅かった、人もまばらだったので、待っていたのかもしれないが、11時を過ぎた頃にようやく出発。2時間半の遅れ・・・。
 見慣れた景色の中をバスは走り出した。また、長距離バスの旅が始まる。今回は2泊3日の予定、烏魯木斉行きが3泊4日なのに吐魯番行きは2泊3日・・・ちょっと不思議な感じです。
 遅れを取り戻そうと、バスは休憩も取らずに走り続ける。
 羽根を着けているんじゃんじゃないかと思うほど、スピードを上げて走るので、乗客のウイグル人たちが楽しくなったのか、突如、歌い始めた。それだけならまだしも、狭い車内で踊りまで始まった。
 根っから明るい民族なんだな・・・運転手も体でリズムを取りながら、歌を楽しんでいた。すぐに右手はゴビ灘になり、景色は変わらなくなった。
 「この景色を見たくてこの旅に出た」・・・それは、予想した以上に素晴らしい景色だった。
 夕方4時頃に遅い昼休憩を取り、その後もバスは走り続けた。今日の夕陽も綺麗で、バスの後ろに沈んでいった。喀什に向かうときは前方に沈み行く夕陽を見ていたが、今回は後ろに沈んでいく。大きな夕陽が荒涼とした大地に解けていくかのようだ。
 今日の宿に着いたのは、Pm10:00。中国人に混じって宿泊券を買おうとしたが、目ざとく見つかり外国人料金で4人房(4人部屋)を7元払わされた(FECと言われたが、「没有了」の一言で人民元で泊まらせてくれたが・・・得した)
 近くの食堂で、遅い夕食を取り、早々と寝た、明日は7時出発だと言ってた、どうなる事やら・・・・。

 今朝も早起きした、置いていかれたら一大事。6時50分頃に下に降りるが、まだドアは閉まったまま。トイレに行こうと敷地の隅にある公共厠所に入る。既に先客がいたが、さすが2ヶ月もこの国を旅していると、平気で人前でズボンが下ろせるようになっていた。(隣の中国人と顔を合わせながら、用を足した)まだ、寒くて長居は出来なかったが・・・。
 この後、長く、すごい一日が待っているとは思いもしなかった。
 やっと、8時過ぎにバスは動き出す。しかし、近くの汽車站まで走ったら、止まってしまって休憩。9時頃まで動く気配すらなく、今日は何処まで行くんだろうか?と不安になる位だった。
 やっと動き出した処で、陽が昇って来た、今日の朝陽は今までに見たどの朝陽より綺麗だった。陽が昇った後は、少し寝不足気味だったので、うつらうつらしながら、バスの揺れに任せていた。
 外は、ゴビ灘と天山山脈が見えているだけで、後は道が一直線に延びているだけだ。
 10時頃に一度休憩になり、拉麺を食べた後に、久しぶり梨を1斤(500g)買った。1.1元(25円位)で5個あったが、美味しい梨で、一緒に乗っていた中国人にも分けてあげた。
 この後に、バスは自然の猛威に翻弄されていく。
 最初は、雲行きが怪しくなって、風が吹き始めた。
 右手のゴビ灘が砂煙でぼーっと霞むようになっていき、その中に幾つかの巻き風が発生してきた。
 「すごい」と外を覗いていると、その幾つかが大きくなって動き始めた。
 「竜巻」と呼ぶには、少し小振りだが、どれ位の威力があるのか判断できない。
 一つがバスに引き寄せられるように、近づいてきた。どんどん近づいてきたと思ったら、辺りが砂塵で見えなくなった。
 竜巻に巻き込まれたのか(映画で見るようにバスを飛ばすほど大きな物ではないのが良かった)車体が振るえ、バスの中に砂が入ってきた。
 どれ位経ったのだろうか、竜巻はバスの前を遠ざかって行く。しかし、これで終りじゃ無かった。
 まだ、右手には竜巻がある。また、竜巻とバスの間に道があるようにバスに近づいてきた。
 それも二つ並んで・・・。貴重な体験だが、廻りには何もない場所での襲撃は恐怖心をあおる。
 バチバチをいう砂が車体に当たる音がしたかと思うと、今度は車内にも砂塵が吹き荒れた。
 中国のおんぼろ上海バスの窓はしっかり閉まらず、砂を入らせた。
 ゴーっという音が、サラウンドのように聞こえた。バスは、竜巻の中にすっかり飲み込まれたようだ。
 皆が、見る見るうちに黄土色になっていく。細かい砂が多いからなのか・・・。(屋根の荷物は飛ばされてないのだろうか?不安になった)
 バスの運転手もよくこの中を走らせている。こんな状況は、よくあるんだろうか? フロントガラス越しに前を見てみるが、僕には砂しか見えない。
 長い間、竜巻の中にいた。砂まみれになりながら、乗客はじっと耐え、僕は、窓ガラスだけは割れて欲しくないと祈り続けた。
 バスをぼろぼろにしながら、竜巻はようやく過ぎ去っていった。
 運転手も疲れたのか、バスを止めた。外に出てみると、竜巻は消え、空も少しながら青空を蘇らせていた。
 バスの車体は、砂塵の凄まじさを表すかのように塗装が剥がれ、細かい擦り傷が無数についていた。
 乗客は、互いの顔を見合わせ、笑い合っている、恐怖心から開放されたからだろうか・・・、僕も、一緒になって笑っていた。 すごい体験だったが、もう二度といいや・・・バスが飛ばされる位の竜巻だったら、と思うと今更ながら怖い。
 バスは何事も無かったように、走り始めた。今日は何処まで行くのだろうか?(後で聞いたらコルラまでだって教えてくれた)
 夕方7時頃に夕飯休憩。いつもは夕飯休憩なぞ取らないのに、今日に限って。
 休憩の時に、同じバスの中国人に「何歳だ?」とよく聞かれる。「職業は?」との質問が中国人が聞く二大質問だ。
 「27歳だよ」と言うと「30歳だろ」と皆が声を合わせて反論、仕方なくパスポートを見せてやると「お〜」って、それほど驚くか・・・失礼な。髭がいけないらしい、確かに中国人は、毛が薄い人が多く、髭を生やしてない(無精髭はよく見かけるが)
 今日も、陽が沈んだ。バスは薄明るいヘッドライトを点けて走り続ける。やっと、旅社に着いたのはPm11:00だった、長かった。
 チェックインしようと受付に行ったら、同じバスの中国人が「こいつは日本人だから、先だ・・・」とわざわざ言ってくれ、一番いチェックインした。親切心からなのだろうが、こっちとしては中国人料金で泊まりたかったのに、しっかり外国人料金の10元を請求された。同じ部屋の中国人は5元だったのにも気がついてしまった(またしても、FECと言われたが、今日も人民元で支払った・・・勝った)
 明日は6時出発らしい。また、長い一日になるんだろうか・・・・

 今日も相変わらず早起きでした。北京時間の5時50分(新彊時間の3時50分)に起床。どう見たってこの時間は辛い、だってまだ夜中だよ、本当に。起きていても、頭はまだ寝てます。
 この宿、厠所が分からず、門の外で小便をした、満天の星の下で、ロケーションは最高なのだが、寒くて出るものも出なくなりそうだった。
 今日は、結構まともに6時20分には出発。今日は、最終日だから、遅く着くわけにはいかないからなの?・・・・。
 今朝のバスの中は、余り寒くなく、少し窓を開けて空気を感じながら乗っていた。空が白みだして、見る見るうちに空全体が焼けていく。そしてぽっかりと、まるで夕陽のような赤く大きな太陽が顔を出す。少しづつ暖かさを取り戻しながら昇っていく、そして、僕らもその恩恵に与りながら走り続けた。
 いつものように、10時に朝食休憩。いつもの拉麺(本当にいつも拉麺ばっかり食べてるよな〜)を食べたが、店によって味が違うから飽きないんです。今日は、吐魯番に着けると思うと気分的に楽です。
 途中から山岳路に入り、やっとゴビ灘とお別れ、広々としたあの大地も見納めかと思うと少し淋しい。・・次は何時見に来れるんだろうか、誰と今度は見るんだろうか?(いまだに誰とも見に行っていない・・・)
 トクスンで停車「吃飯」の声で、一斉にみんなバスから降りる。この上海中国バス、座席の間隔が狭くて、すごく窮屈なのだ。他の中国人も同じらしく、休憩になると、降りて、まず背伸びをする。
 まだ、お腹が空いていなくて、シャンピン(炭酸入りのお酒でなくジュース)を1本飲んでぶらつく。吐魯番まで後、50キロ位。1時間位で着かないんだろうか?でも、まだ時間はあるので、気分的に楽です。
 ここで、烏魯木斉行きの人と別れる。ほとんどが烏魯木斉行きだったので、残った吐魯番行きは、ほんの数人だった。
 まずは、烏魯木斉行きのバスが出て、その後、吐魯番行きが出発。今まで乗ってきたバスは、吐魯番行きだったので、そのまま乗って行った。
 山岳路をはずれ、オアシスの道になっていく。荒涼とした大地と緑の木々のコントラストが綺麗。
 小さなオアシスを幾つか通り過ぎ、やっと吐魯番長途汽車站に着いたのは、Pm7:00だった。まだ、充分明るい時間だ。
 屋根の上から、乗せていたザックを下ろすと、砂が多量に中から出てきた。外は、水色のはずが黄土色になっている位染み込んでいた。
 宿は、吐魯番賓館にしようと思っていたので、地図を覚えていた。ザックを担ぎ、歩いていく、綺麗な街だ・・と言うのが第一印象。
 吐魯番賓館に着き、フロントで部屋が空いているかを聞いたら、日本語で教えてくれた(びっくりした・・・)。一番安い4人房、1天6元で3泊する事にしてチェックイン。
 フロント隣の掲示板にY君の電報が貼ってあった「合否不明、帰国」・・・Y君は教員試験を受けていて、一次試験の合否が先日発表になったらしい、もし、駄目だったら帰らなくていいから、一緒にチベットに行きたい、そう言っていた。
 その問い合わせを日本にしていたが、回線状態が悪く、繋がらなかったみたいだ。(実際は、合格していたので、絶対、帰らないといけなかったのだが・・・彼も、今は立派な教師になっている)
 部屋に行くと、2人は入っているらしいが、姿は見えない。まずは、シャワーを浴びようと準備。染み付いた汚れを落とさないと・・髪の毛もラスタマンみたいに、ごわごわになっていた。
 シャワーを浴びると気持ち良くなったが、疲れが出たのか、外に出る元気がなく、持っていた中国方便麺を作って食べた。久しぶりに食ったが、相変わらず美味しくなかった。
 その後は、うとうとしていたら寝てしまったみたい。疲れた・・・長距離のバスはしんどい、ほんと、しんどい

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