中国紀行4・・烏魯木斉〜天池〜喀什

 長々と乗った171次直快を降りると、背伸びをしてみた。車内で体が伸びられなかったので、気持ちがいい。
 大きな烏魯木斉の站を出ると眩しい陽射しが待ち受けていた。まずは地図を買わなくては・・と6角を出して烏魯木斉の地図を買うと裏面は新彊の全体図になっている、今回、和田(ホータン)に行ければ行きたいと思っているのだが・・・。
 地図で宿を物色し、駅前にある新彊飯店に行こうと決める。この時、一緒の車両に乗っていたスイス人と一緒だった。二人で歩いて行こうとすると出祖汽車(タクシー)の運転手が来て「二人で4元でいいから、乗らないか?」と誘ってきたが、すぐのようだったので、断って歩き出した。
 駅前の階段を下りると、目の前に新彊飯店はあった・・・よく4元なんて言ったよな、強気も感心するくらい。
 ホテルは改装中なのか?あちこち工事中で服務台には、気の強そうなおばちゃんが座っている。
 ここは低姿勢で尋ねたほうがいいかな?と思い、「ドミトリーはありますか?」と中国語で尋ねると「没有房!」「そしたら4人部屋は?」それも「没有房!!」「ダブルは?」「シングルは?」ことごとく「没有房!!!」・・・・おばちゃんの虫の居所が悪いのか、取り付く島もない返事です。
 さてどうしようか?途方に暮れているところに一人の欧米人が歩いてきた。話をすると、ここに泊まっていて自分たちのドミトリーはまだ空いてると言うではないか・・・彼がおばちゃんと交渉してくれるとOKの返事、どうして泊まれちゃうの??疑問符が頭の中を埋め尽くしたが、取りあえず泊まれることに感謝しなくちゃ。
 部屋は600号、そう6階でもちろんエレベーターなどなく階段が唯一の手段。料金は1天7.8元、それも人民元、ワイフィ(外貨兌換券)だと5元くらいにしかならない。2天の前払いをして部屋の階段を上がる。
 さすがに6階まで荷物を持って上がると疲れる。部屋で少し片づけをしていたら眠くなってしまった。
 うとうとして起きたら、外はまだ明るい、「まだ、早いんだ・・・」と思って時計を見たら夜の7時を既に廻っていた。一体、何時になったら陽が暮れるんだろうか?まだ、外は煌々と陽が差していた。
 腹も減ってきたので、駅前の食堂に入って一汁一菜の食事をしたのだが、中華の一汁一菜は一人には多すぎる。さすがの大食感の僕もお腹一杯で苦しくなった程。
 食堂を出て、散歩していると、男たちが集まって何やらしている。後ろから覗くと、前に少し見たことがあった「中国将棋」。男達は真剣に勝負をしていて、勝ち負けは、きちんとお金が動いている。たいした額ではなかったが(確か1元とか2元とか)それだから真剣になっているんだろう。僕も後ろでそれこそ1時間以上も見ていただろうか・・一人が気づき、前の方に呼んでくれた。 その日は、やり方とセオリーなどを見ていて、日が暮れて来たので宿に戻った。
 やっと新彊に来ました、喀什(カシュガル)も手の届く距離です。まだまだ時間はあるので、ゆっくり廻ってみようかな・・と思っています。タクラマカンの砂漠も見てみたいし、ウイグルの生活も覗いてみたいと思ってます。まずは天池に観光に行こうかと・・・。
 
 久しぶりのベットは、気持ち良過ぎて起きられないかと思う位でした。翌日も9時頃までベットの中で寝ていた。
 同じドミトリーに一人の日本人が入って来ており、少し情報をもらった。天池行きのチケットは烏魯木斉站の旅館部で売っているとの事なので、宿を出て、站に向かう。しかし、站にはそんな所が見当たらず、駅前でうどんを食べて市内に出て行った。
 紅山に行ってみようとバスに乗ったのは良かったんだが、バス停の表示が消えていて何処まで乗ったらいいのか分からず、他の人が乗っていた「8路」まで乗っていたら随分と行き過ぎたみたいだった。
 ま〜行き過ぎたなら戻ればいい・・と一人になれば楽観的に考えてます、もともと歩くのは苦にならないほうなので。地図で自分の位置を確認してから、紅山に向かって歩き出す。烏魯木斉の街中は街路樹が植えられていて綺麗になっている。テクテク気ままに散歩です。1時間位歩いたら、紅山に着いた。西紅柿(トマトの事)をバケツに入れて歩いていた老夫婦が仲が良さそうで気持良かった。
 さて、紅山には、登れるはずなのだが、探し方が悪いのか、上り口が発見できず、うろうろして時間を使った。ま〜いいっか・・という感じで上るのを諦め、近くにあった紅山商場(デパートみたいなものかな)に入っていく。中国旅行に欠かせないお茶が烏魯木斉までの列車で無くなってしまったので、買い求めたのだが・・・・花茶(ジャスミンティー)でなく、中国保健飲料というのを買ってみた。味はコーヒー味で高血圧に効くと効用が書いてあった(確かに飲むとほとんど味のしないコーヒー味でした、良薬は無味なるものか)、それに、シャンプーと煙草。色々と買ってしまった。
 一度、宿に戻る事にして2路のバスに乗ろうとしたら、目の前で「ブー・・・・」 行かれてしまった。仕方ない、待つか・・と近くにいたハミ瓜の屋台に行って「一切れ頂戴」と言うと2角1分と言う。3角出すと、お釣りが無いらしく、9分分薄く切ってもう一つくれた。アバウトな商売・・でも、このアバウトさ好きですね。
 烏魯木斉のバスは、スリが出ると他のツーリストから聞いていた。乗ったバスも混んでいて、スリ対策にデイパックをおなかにしょっていた。火車站まで切符は買ったのだが、その前の長安路でバスを降り、昨日の晩に行った食堂で昼ご飯を食べに行く。
 おまけしてくれたのか昨日より量が多くなっていたような気がする。
 また、おなか一杯食べちゃって、散歩しながら歩いていくと、昨日と同じ処で中国将棋をやっている。覗いていこうと傍に行くと、覚えていたのか、前に呼ばれて席に座らされてしまった。ゲームをしようというのだ。
 まだまだ初心者の僕は、見よう見まねで駒を動かしていくが、容赦なくどんどん駒を減らされていく。あっけなく初戦は完敗、仕方ない・・キャリアの違いだ。(この負けが僕のどこかにあるスイッチを押したみたいだ)
 一度、席を譲り、観戦に廻る。少し戦略が見えた所で、弱そうなおっちゃんに申し込む。
 向こうも外国人には負けないと思っていたのか、攻めが甘かった。それを逃すはずも無く、初戦の悔しさを晴らすべく、執拗に攻め続ける。結果、おっちゃんの巻き返しも振り切り初勝利!!
 おっちゃんの顔がこわばっていたのが分かる。廻りにいた陽気なウイグルのおっちゃん達が、次々とゲームを申し込んでくる。その後、何試合しただろうか・・・でもお金は3元くらいしか減っていなかった(1試合1元のレートだった)。日本で親父に教えてもらった将棋の打ち方が少しは役にたったんだろう。
 夕方になったので、宿に戻ろうと思い、場所を離れようとすると「また、来いよ」と誘われてしまう。
 宿の前まで来ると、同室の日本人と逢い、彼も「天池に行く」と言うが、「切符買うところ、分からんかったわ」と話すと「一緒に行きましょうか」と言ってくれたので「頼むわ・・・」と。
 一緒に站まで戻り、明日の天池行きのチケットを手に入れた。確かに站に切符は売っていたが、建物の中で知らないと入れない所だった。11元、ミニバスらしい(チケット代が高いのか、安いのか?分からないが)
 一度宿に戻り、シャワーを浴びる(このホテル、2日に1度しかシャワーが使えない。昨日はシャワーなしで、洛陽から溜まっていた汚れを洗い流した)。洗濯物を片付けようと洗面所で悪戦苦闘すると、汚れが出てくる・・・初めより軽くなった気がする位、綺麗になった。
 絵葉書や日記を書いていると、やっとお腹が空いてきて食事に街に出る。今日は鮮碑酒(生ビール)をやっている店を見つけたので、てくてく散歩がてら歩いていく。陽射しは既に随分と傾き、やわらかい暖かな光になっていた。
 店は、結構繁盛していた。片隅に席を取り、鮮碑酒とおかずを頼む。久しぶりのビールは美味しかった。特に乾燥している土地なので余計水分を要求してくる。廻りのウイグルたちを眺めながら一人で飲むのもいいもんです。結局3杯くらいお代わりしていい気分になって店を出た。外はまだ、ほの明るく、ほろ酔い気分で歩くには丁度いいくらい。
 明日は、朝8時のバス。7時には起きないといけないかな・・・まだ、朝明けてないよな。

 7時に目が覚めて、用意を始めるが、外はまだ真っ暗。それもそのはず、ここ新彊では午前5時、時差がないのは無理があるよ、やっぱり。他の人がいるので、明かりを付けずに用意をして部屋を出る。
 下まで降りていき、服務台に行く。脇で寝ていた服務員を起こし、チェックアウト。デポしていた5元を返してもらい、ドアの鍵を開けてもらい外に出る。
 中国に来て初めて寒いと思った。まだ明けやらぬ空と肌寒い風が乾燥した大地を覆っていた。ザックを担いで站に行ってみるとまだ閑散としていて誰もいない・・・ちらほら人が集まりだすが、以前、風が吹いていて寒い。昨日食べたうどん屋もまだ店を出していない。
 8時になるが、バスの姿は何処にもなく、同行の彼、曰く「この前も8時半頃でしたよ」と。うどん屋が店開きをしたので、1杯頼むと、昨日は5角だったのに、今日は6角だった(時間が遅かったので、まけてくれたんだろうか?)からだの芯から暖まった。
 8時半頃に、ようやくミニバスが現れる。站前から人を乗せた後、市内の幾つかの停留所で人を拾い、天池に向かって走る。ヒーターが効いていたこともあり、暖かくなって眠ってしまった。目が覚めると、そこはもう天池だった。
 バスを降りて伸びをしていると、「馬に乗らないか?」と誘われるが、歩いて行こうと話していたので「不要」と言って歩き出す。
 天池越しにポゴタ峰が綺麗に見える。烏魯木斉の街と比べると色が鮮やかな感じ。モノトーンとカラーというイメージかな。
 小一時間歩くと、天池の畔にパオを見つける。フフホトの草原ツアーに行ってパオに泊まりたかったので、ここでその夢が叶う。
 パオを覗くとおかあちゃんと女の子が一人。1泊食事つきで10元だと言う(ここらは何処も同じ値段らしい)。
 そのパオに決めてザックを下ろすと、ナンとバター茶を出してくれた。パオの片隅で女の子は着替えをしていた。僕らが来たので余所行きの服を着せてもらっているみたいだ。静かな時が過ぎる。おかあちゃんに聞くと、「もう少ししたら、また移動する」と言う。遊牧民カザフ族の生活なのだ。この次、来た時にはもういないんだな・・・。
 7歳の可愛い天使は、はにかみながら僕らの方を見ている。天池の畔で一人遊びをしていたので、話しかけようと思うが、彼女は中国語を理解できない、僕はカザフの言葉を話せない。
 折り紙で、鶴を折り手渡したら、興味を示したらしく、傍に寄ってきた。僕の手から色々な物が折りだされるのが、彼女にとって不思議で仕方がなかったようで、一生懸命見ていた。その全てを彼女にあげると、おかあちゃんのところに持っていき嬉しそうにしていた。
 パオを出て、天池の湖畔で写真を撮っていると、彼女も出てきた。カメラを向けるとはにかみながらこっちを見てくる。恥ずかしいんだろうか・・でも、いい顔してました。何カットか写真を撮り、「ありがとう」と日本語で声を掛けた。(中国語も分からないなら、自分の気持が一番込められる日本語で言ってあげたかった。)
 その後は、のんびり時を過ごし、8時(北京タイム)に夕飯。羊肉入りのうどんだった。暖かいうどんと心地よい空間で気持ものんびりしていた。悠久の国、中国で、ここはより悠久の時が流れているようです。

 天池2日目はゆっくりの目覚め。北京タイム10時頃で、それでも、朝は明けたばかりで靄が天池にたち込めていた。
 歯磨きをして、天池の水で顔を洗う。今日は、一日のんびりしようと思った。朝食はナンとバター茶で済まし、のんびりしていると、親父さんが戻ってきて(昨晩は、とうとう戻ってこなかった)「今日は泊められない」と言う。その時、既に午後2時半。どうしてか?聞くと、「北京タイムの5時に公安の検査があるから」と。季節営業で不認可なのかもしれない。「公安が来たときに、僕らがいなければ問題ない」と言うが、その時、どうしろと言うのだ。
 奥のパオに行ってみようと、そのパオを出て歩き出す。湖畔で行けるかと思ったが、途中で道が無くなったので、崖を登り上の道に出る。1時間位歩くと一つのパオ。日本人が2人いた。もう少し先まで行ってみようと歩き出すが、帰って来たツーリストからまだ1時間以上の歩かないとパオは無いと教えられ、断念。さっきのパオに戻る。
 そのパオは日本人が二人とアメリカ人が一人が既に泊まっていて、僕らを含めると5人、それにパオの住人が4人で計9人になった。昨日とは打って変わって賑やかなパオだ。夕飯はご飯とおかずが出たのだが、さすが5人もいると早い。お代わりがないか?と聞いたが「没有了」・・その一言で夕飯終了。夕飯の後、みんなで外で星を見ながら話をしていた。ここも満天の星空。公害なんて無縁の処だけに空は澄み渡っていた。外で星空の元、寝たい気分だったが、昨晩は少し寒かったので、おとなしくパオで寝た。ほんとに寒かった・・・・。

 翌日は、朝から起こされ、少し寝不足ながら気持のいい朝でした。今日はどうしようか?と思うが、一昨日泊まったパオまで戻って決めようと身支度をして出発した。最初から上の道を歩いていくと、アップダウンの多いネパールトレッキングのルートみたいでした。
 一昨日のパオまで戻ってくるとおかあちゃんしか居らず、親父さんも天使もいなかった。少し休んでいたが、ビールが飲みたくなり、烏魯木斉に戻る決心をした。
 3時頃までパオにいて腰を上げる。バス停まで1時間弱。今日も綺麗にポゴダが見えてます。バス停で煙草を買い一服(昨日で煙草が無くなり、禁断症状が出始めていた)切符売り場は分からなかったが、大客車の車掌が「烏魯木斉に行くのか?」と聞いてきたので「そうだよ」と答えると「12元」とだけ叫ぶ。ミニバスより高いが、ま〜いいか〜ってバスに乗り込む。
 バスは、すぐ出発し高度を下げていく。行きは眠っていて分からなかったが、結構カーブのある道だった。烏魯木斉の街に入ってバスは紅山賓館の前に止まる。さて、何処に泊まろうか?考えて前に止まった新彊飯店に行こうとバスに乗ったが、考えれば良かった。
 新彊飯店に入って行き、部屋を聞くが何処も「没有房」で駄目、らちがあかないので、さっきの紅山賓館に戻るが、タッチの差で没有房・・・さっきは空いていたのに。
 もうすぐ8時半になるのに、宿も決まっていない。華橋賓館を紹介され、またバスで移動・・でも、どうした事か、ここもフルの返事。日本語が分かる服務員がいて、相談すると、上に交渉してくれたらしく、10時頃に「10人部屋ですが、1泊5元です」と伝える。この頃には日本人も含め10人以上がロビーで溢れていた。
 案内された部屋は、会議室にシーツを敷いただけの部屋(そもそも部屋と呼べるしろものではなく、よく5元も取るな・・と言うのが正直な感想だが、部屋にありつけただけでも良しとしようじゃないか)、その中のソファーを一つ占領して横になる。疲れた・・・・
 翌日は、寝たんだか寝てないんだか分からない感じで起き出す。時計は10時を廻っていて、部屋の中は、ちらほら人が残っているくらいだった。重たい体を引きずって服務台で行き、部屋を変えてくれと言うと、すんなりOKの返事。
 天池で逢った日本人が「340号室」が空いてると言っていたので、その部屋に変えてもらった。会議室からザックを取り、340に入っていく。部屋には誰も残ってなく、掃除のおばちゃんだけがいた。掃除の終わるのを待って、シャワーを浴び(このホテル、全室アタッチドバスなんです、湯量も申し分ないし)洗濯をする。汚れ物が多くて困る。こまめに洗濯しないと着るものが無くなってしまうからね。
 腹も減ってたので、手持ちの方便麺を作るが、お湯が熱くなく、美味しく出来なかったが、お腹が空いていたので完食。午後の陽射しの中で、ゆっくりベットの上で休んでいた。夕方、賓館の前の食堂で食べたのだが、しっかりツーリストプライスのメニューを見せられてしまった。気が付かなければ、たいした額ではないんだが、お金を払うときに、ローカルのメニューを見つけてしまい、ちょっと落胆した。その後、近くの店で「豆沙包(アンパン)」を見つけて2ヶ買出しをする。日本のようにふっくらではないが、十分美味しいパンです。バスに乗って駅前に向かう。鮮碑酒を飲み、中国将棋を覗く。いつも同じ場所で、同じようなメンバーでやっている。夕方の憩いの場所なんだろう。何戦かやらせてもらうが、この日は全敗だった。やはり、キャリアの違いかな・・・(負けたのは悔しかったが、ウイグルのおっちゃん達とワイワイしてるのが楽しかった。他のツーリストは近寄りもせず、脇を通り過ぎて行く者ばっかりだった)
 宿に戻ると、みんな帰ってきており、色々と話していると「西瓜食べに来ない?」と誘われる。同室の子と240号室に行くと、見慣れた顔があった。なんと、北京で別れた彼が240号室にいたのだ。西安の留学生を訪ねると言っていたが、その留学生と烏魯木斉まで来たらしい。明日には吐魯番に行くと言う。この広い中国の中、知り合いに逢うとは思いもしなかった。
 西瓜を食べながら、日本人ばっかり10人位集まって、情報をもらったりあげたり。
 9月になったというのに、学生がまだ多いです。これから、どんどん少なくなっていくんでしょうが・・・
 その夜は、部屋に帰ってからも、話をしていた。地元出身のメンバーだったこともあり、方言の話などで盛り上がった。

 翌日は、喀什行きのチケットを取るのと、公安に行って和田(ホータン)に行くためのパーミットの取得がメイン。10時頃に動き出し、まずは站前に。人づてに、站前から、喀什行きのバスが出ると聞いていたが、行ってみると「別のターミナルから出るから、そっちに行け」と言われる。廻りにいたウイグルも「予約は違うターミナルになる」と教えてくれた。地図を見せ、場所を教えてもらい、行ってみるがなかなか分からない。近くにいた人に聞きながらようやくバスターミナルを見つけた。
 「明天、77次、至喀什、2个」と窓口で言うと「FEC(外貨兌換券)」と言う。一度、窓口を離れ、中国人に切符を買ってもらおうと思ったが、僕らの他はガラーンとしていて、頼む人がいない。30分位待ってみたが、誰一人入って来ない・・・仕方なくFECで払い、チケットを購入(43.8元・・人民元に換算すると90元近い価格、これが3泊4日のバスチケット代)
 チケットを購入した窓口で、和田の情報を聞いてみると、「今は行けない」「喀什で聞いてみなさい」との事、どうしてだろう?。
 近くで昼飯を食べてから、明日からの買出しをする。方便麺と干し海老(2.5元もしたが、方便麺を美味しく食べられるなら・・と購入)、バスの長旅は初めてなので、どうしたものか分からない。
 站前の中国将棋場には、既に人が集まっており、少しだけゲームをして退散。帰り道に夕飯を食べて部屋に戻る。絵葉書を出そうと何日か前から書いているものを仕上げて、フロントに預ける。(大きなホテルなのでメールサービスもやっていたので)
 明日から、とうとう憧れていた喀什への道。タクラマカン砂漠は見れないらしいが、端を沿って走るらしいので、少しは感覚が感じられるかな・・と思う。どうなる事らや・・・ま〜また戻ってくるんだからなんとかなるでしょう。

 とうとう、喀什への旅が始まる。7時半に起き、荷物をパッキング、8時過ぎにホテルを出発。まだ、肌寒い位だったが日中は暑くなるだろうと短パンを履いていたので身にしみた。朝歩くのは、久しぶりなので、景色が綺麗に見える。しかし、背中のザックがパッキングが悪いのか、腰の辺りが当たって少し痛い。
 9時頃にバス・ターミナル着。揚げパンと豆沙包を買って腹ごしらえ、廻りを見るとウイグル達が集まってくる。改札が始まったので、行ってみると、「76次のバスだ!」と言われ??のマーク。77次で買ったとばかり思って、よくチケットを見なかったが、何処に76次と書いてある?。でも、76次は9時発、バスは既に出発しているはず・・・・・・・が、まだターミナルの中にいて、荷物を積んでいた。
 バスの傍に行き、屋根に乗せるザックを渡す。このザックはこれから4日間、風雨にさらされる運命なのだ。中に入ると、既に席は、ほとんど埋まっているが、ドアから2列目を空けてくれる。後ろの方はジャンピングがきついと人に聞いていたので、一安心。
 ようやく10時頃にターミナルを出発。やっぱり77次じゃなかったのか・・・しかし、いきなり整備場に入り、下ろされる(それなら、先に整備しとけよ・・・)それから、しばらくたってバスに乗せてもらったが、時は既に10時半を越えていた。
 バスは、烏魯木斉市内を抜け、山道に入っていく。この喀什行きのバス、50人位の上海製バス、それにほぼ満員の乗客が乗っている。みんな何処まで行くんだろうか?ウイグルの中に漢民族も混じっている。
 山岳路をくねくねと走り、やっと廻りが開けてきた。この先は、タクラマカンが広がっているんだ(とは言っても、見えるのは礫ばっかりで、砂の砂漠とは大違い)見たいと思っていた、広さが目の前に広がってきている、胸がドキドキしていた。
 平原部に入ったら、一気に気温が上昇して、暑くなった。着ていた長袖を脱ぎ、ザックにしまう。
 昼の2時頃に、バスは止まり一言「飯」・・遅いなーと思ったら、新彊タイムの12時だった。店に入り、伴麺(茹でた麺に、具をかけて食べるスパゲティのうどんバージョン)を頼むと、これが結構いけた、羊肉のミートソースがうどんに良く合っていた。
 シャンペン(中国のは炭酸入りの清涼飲料水)を久しぶり飲んで、喉の渇きを潤した。
 午後も、バスはひたすら走り山岳路に入ったり、平原路を走ったりして、順調に走っている。右手には天山系の山々がずっと見えている。
 昔の天山南路をずっと走る事になるこのルート。昔よりはずっと楽になってるはずだが、それでもこのルートは過酷と言われていた。
 バスは、夕方になっても止まることなく、走り続ける。やがて夕陽は、遥か先に落ちていった。
 ようやくバスがその走りを止めたのは、もうすっかり闇が辺りを隠した22時半のことだった。昼を食べてから、何も腹に入れてなかったので、腹も減っていたが、取りあえず部屋を確保しなくちゃ・・と中国人に混じって3.5元の部屋を確保。何処の街かも分からない旅社だが、人民元で3.5元は安い。
 近くの開いている食堂に入ると、メニューなるものがない。厨房に入って行き、食材を見せてもらい、オーダー。中国って国は、中国語しか通じない処が多いので、必然的に中国語を覚えるようになる、特に食事関係はすぐ覚えないと死活問題だし・・・。
 ようやくお腹に入れ、ビールも1本だけにしておいた。明日も7時に出発だと言っていた。
 部屋に戻ると、他のベットは既に寝ており、静かにベットに横になる。やっと1日目が終わった・・・・。

 2日目は、同室の中国人に起こされた。彼らは、これから烏魯木斉に戻るらしい。まだ、外は暗い・・・トイレに行ったのだが、暗くて中が良く分からない、仕方なく外で済ませた。
 部屋に戻り、サブザックを持ち(メインのザックは昨日からバスの荷台に乗ったまま)、バスに乗り込む。眠い・・・、少し遅れて7時40分頃に出発。
 すぐ大きな街「庫尓勒(コルラ)」を通過、バスはストップすることなく、先を急ぐ。
 10時頃に、小さな店で停車をする。朝食休憩で、炒麺を頼むが、湯麺も美味そうだった。出発まで時間があったので、廻りを散歩していると西紅柿(トマト)が干してあって、その赤がとっても綺麗だった。同じバスの中国人と話していたら、チベットの人で、喀什から拉薩にバスで戻るらしい。
 バスは、ひたすら西を目指します。もう、右の景色は変わりません。左も天山山塊がずっと見えていて変わらない。この道は、綺麗ではないけど、舗装がされているだけましのようです。
 さすが中国、道路脇の電柱が何処までも続いていて、その終わりは確認できません。
 昼食も伴麺を食べ、バスに揺られ続ける。突然、「パーン」という音でハッとする、パンク・・・。
 みんな、外に出され、タイヤを見てみると、大きな裂け目・・、運転手らが、タイヤの交換をしている。僕ら乗客は、ひとところに集まって、その経過を固唾を呑みながら眺めていた。
 ようやく修理(交換だが)が終わり、その遅れを取り戻す為か、爆走する。途中、道が無くなった・・・どうするのか?と思うが、バスは道をそれ、道なき道を走り始めた。
 砂煙を巻き上げながら、爆走する、対向車が来た時には、バスの中は、砂埃で一杯になった。
 川に来ると、浅い所を探して渡り、道なき道を走り続ける、パリダカ(パリ・ダカール ラリー)を走っている気分。2時間位走って、やっと普通の道に戻ると、快走し、昨日の夜着が何故と思うくらいの7時半に今日の宿泊地「庫車」に着いた。
 庫車の宿は、バスターミナルにある交通旅社。しかし、この旅社には、頭にきた。
 服務台に行くと、「部屋はある(そりゃそうだ、中国人が泊まれたもの)が、高い部屋しかない」・・・??、どういうこと?。
 一番高いツインに、それもFEC(外貨兌換券)で払いなさいと言う。外国人なので、FECは許そう、しかし、安い部屋もあるのに、どうして、一番高いツインに入れられなければならないんだ。
 同じバスのおっちゃんも、同情してくれ、服務員に抗議してくれたが、「駄目だ!」の一点張り。それ以上、文句を言うと、それこそ泊めてもらえなくなりそうだったので、おっちゃんをなだめた。仕方ない・・・・・
 部屋に荷物を入れ、晩飯を食べに行く。しかし、「ついてないときは何をしても駄目だ」と思うくらい、食堂でもついてなかった。オーダーは忘れられるし、量は今ひとつで、食べた後に、ナンを買って食べたほど。ま〜そんな日もあるか・・・と早々と眠りについた。
 「明日も7時出発」だと、運転手は平然と言っていたからな。

 3日目も、真っ暗の中、起き出した。バスの時間も新彊タイムにしてくれればいいのに、そんなものだけ北京タイム。眠い目をこすりながら、バスに乗り込むと他の乗客もほとんど揃っている。長距離のバスって、乗客の確認などせずに出発してしまうから(現に昨日は一人置いていかれそうになった)、みんな自己防衛本能からか、ぐうたらな中国人にしては、珍しく時間を守っている。
 乗客は揃っているのに、肝心の運転手は現れない。汽水を売店で買ってきてもまだ現れない・・・・。
 そうこうしていると、一人の日本人が暗闇から現れた。彼も、同じバスで喀什に行くらしい。
 バスは、8時半頃に出発・・・7時出発じゃなかったの??
 今朝は、少し肌寒かったが、暖かい服は屋根のザックの中・・仕方なく陽が昇るまで寒さを我慢した。
 今日は、朝の休憩も取らずにバスは走っていく。陽が昇ると、暖かくなり、長閑な旅になると思ったが・・・何故か、腹の調子が今ひとつ。早く休憩にならないかな〜と思うが、バスは快走する。道路の舗装も悪いのか、揺れがひどく、お腹に良くない。
 やっとのことで、休憩になったのは、午後2時、一目散に公公厠所(公共トイレ)に走りこむ。
 中は、目が点になりそうな一般の中国式。細い溝があるだけの・・・そんな事は構っていられない、中国人と顔を合わせて座り込む。長距離の移動には、気をつけなくちゃ・・・。
 やっと一段楽して、昼ご飯を食べる。いつもの伴麺(これが、安いくて美味しい、イスラム系なので、羊肉を使う)だが、店によって味が違って飽きてこない。ほとんど外れもないし・・・。その後は、市場を覗いたりしながら休憩時間を過ごす。
 バスは、また走り続ける。途中のアトスで休憩をして、いざ、出発しようとした所に、パンク・・・またかよ!?。
 乗客は下ろされ、修理をするが、今度はタイヤのチューブを替えていた。でも、ほとんどの修理は運転手と助手で直してしまうのがすごい。中国人の手先の器用さは日本人と変わらないか、それよりすごいかもしれない。

 以前、大同の街の百貨大楼で、自転車のエリアがあったのだが、自転車は一台も売られていなかった。そこには、自転車の部品がたくさん並べてあっただけ。中国人は自分で組み立てるらしい(出来上がった自転車は高級車だと、前に聞いた事があった)。
 僕も、昔、自転車に燃えていた頃があって、それこそ自分で改造したりしていたが、ハブ(自転車の車輪の中心部)の中まではいじらなかった。ベアリングとグリスで、綺麗に仕上げないと車輪は廻ってくれない。


 タイヤの修理を終えたのが、既に夕方5時過ぎ。今日は、何処まで走るんでしょうか?喀什まで随分と近づいてきているのは確かです。今日もバスの中から、落日を眺め、それでも、バスは漆黒の中を走っていく。ここらまで来ると、オアシス以外に明かりはなく、それこそ真っ暗闇の中をバスのライトだけが光っている状態。明かりが見えるたび、止まるかな?と期待を抱かせるが、バスがその走りを終えたのは、夜の9時半「三岔口(サンチャコウ)」の村だった。
 よくぞ、走った、喀什まであと250キロの処まで来ました。
 運転手に言って、バスの屋根からジーパンを下ろした。朝はまだ寒い・・風邪を引いては元も子もない。
 一緒のバスに乗っていた外国人(僕ら日本人が3人とアメリカ人の女の子)4人で、一部屋にされた。1泊6元のドミトリー。早速荷物を入れ、開いていた漢族食堂に行く。ようやく腹にたまり、ほっと一息。
 宿の中央が広くなっていて、一台のテレビが置いてあった。テレビでは「最后皇帝(ラストエンペラー)」がやっていて、他の中国人達は、テレビに釘付け。今は、すごい人気らしいが、延々午前0時までやっていたのには、呆れた。
 明日は、少し遅い7時半の出発らしい。

 とうとう、最終日の4日目。今朝は、てんやわんやだった。7時半の出発だからと、いつものように眠い目をこすりながら、バスに行くと、いきなり「8点半!」の声・・みんなバスから降ろされて、部屋で待っていようと思ったが、既に部屋は鍵が掛かっていて、他の部屋に入れさせられた。8時半にバスに行くと、旅社を出た処で「朝食休憩」(バスは100m位、走っただろうか・・・)。ジェーファン(イスラム料理で羊肉のピラフみたいなもの)を食べようとしたが、3元7角もしたので、マントウを買って食べた(こっちは1ヶ1角だった)
 バスは、何処かに走り去っていたので、廻りを散歩しながら、景色を写し撮っていた。イスラムのおっちゃんたちが、朝の談笑をしている、赤ちゃんを抱えた親子が、朝日の中で微笑んでいる。
 バスが戻ってきたのは、既に10時に過ぎていた。喀什までもう少しだという安心感か怒る乗客もいなかった。
 今日は、少し景色が変わってきた。少し緑が増えてきたような気がするし、左右の景色が変化に富んできた。
 烏魯木斉を出て、3泊4日の旅は辛くもあり、楽しくもある旅です。今日は、よく人を拾います。確かに、喀什が近いので、人の乗り降りも多くなるのかもしれません。しかし、この旅の中で、何もない処で降りていく人達は、何処へ行くんでしょうか?辺りにはオアシスどころか、家の影すらないところなのに・・・・。
 昼の休憩を少し取ったら、すぐにバスは走り出す。アトスに着いたのが、午後3時。喀什はすぐそこに来ています。バスがやっと喀什に入ったかと思ったら、バスは止まり「給油するから、皆、降りろ・・・」、そして、バスは走り去った。
 この休憩中に現れたのが、「カード使い」、巧妙に仕掛けられたカードマジックで掛け金を取っていく。廻りで見ている限りは、どのカードかは分かるのだが、金が掛かると全然分からない・・・さすがプロ。乗客の何人かが散財していた。
 バスが戻り、やっと喀什のバスターミナルに着いたのは午後4時を廻った頃だった。バスの屋根からザックを下ろすと砂埃で真っ白になっている。4日間の旅をじっと我慢していたんだ。
 取りあえず、近くの店に入って遅い昼飯を食べ、同じバスに乗っていた彼と色満賓館(老賓館)に向けて歩き出した。途中で日本人に逢って話を聞くと「老賓館はドミが人民元で5元」だと言う、安い!。しかし、世の中、上手くいかないもので、ドミはなく、「FECで15元の部屋ならある」と老賓館の服務員は言う。しかし、この喀什には少し滞在したいと思っているので、1泊に15元はかけられない・・。
 目に前にあるオアシス賓館(緑州賓館)に行くと、ドミで人民元6元だと言うので、そちらに宿を取った。
 部屋は、パイプベットが並んでいる広い部屋だが、これ位広いと安心かもしれない。早速4日間の汚れを落としにシャワーに行く。着ていた服も洗濯してやり、気分爽快。夜はホテルの食堂でとり、ビールをテイクアウトして部屋で飲む。乾いた空気の中のビールは最高!明日は、公安に行ったり、街中を歩いてみようと思ってます。
 喀什・・・夢にまで見た土地にやっと着きました。パキスタンも目と鼻の先、抜けようかと思えば、抜けられますが、この後のチベットがあるので、今回はパスです。長い旅だった・・・・、でも、また帰るのか。
まだまだ、旅は続きます。

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