中国紀行3・・北京〜開封〜洛陽〜烏魯木斉
妹達は、早朝のバスで香港に向けて出て行った。
バス停で見送った後、一度ホテルに戻り、一寝入りした後、北京駅に向かう。
今日で北京を出るというのに、僕の手の中には北京を出るチケットはまだ無かった。
今日も色々な列車を試みたが、ことごとく「没有」と言われ、ようやく手に入れたのが20時発の149次直快の軟臥の切符。
何処まで行こうか悩んだ末、鄭州まで行くことにして切符を買った。86.5元、さらにFEC(兌換券:約3500円)払いで財布が急に軽くなる。
宿に戻ると、同室の彼が起き出し、一緒にラーメンをすする。中国製・方便麺は相変わらずだったが、彼とも今日でお別れ、彼は12時58分発の特快で西安に行く。
11時半頃に宿を出て、駅に向かう。彼を見送った後、駅前で弁当を買い(1元だった、安いな〜)道端に腰掛けて食べる。その後は、外国人待合室で、朝早く行動したので、眠くなり横になって時間を潰す。
ようやく発車近くになり、列車待合室に行くと、人並みはもう動いていた。その人ごみに入り、改札してもらう。既に列車はホームに入っており、切符に書いてある10号車に向かう。
列車に入ってみて、驚いた。硬臥の雰囲気とは別世界、4人のコンパートメントでベットはふかふかでテーブルには花まで置いてあった。 荷物をベットの下に入れていると服務員が検票に来た。
乗客名簿を作っていたのだが、片言の中国語で答えたら質問攻めにあってしまった。この快適な空間も明日の明け方まで・・6時には鄭州には着く。
5時半過ぎに、服務員に起こされる。有無を言わさず、切符を交換し、立ち去って行く、さすが中国。
まだ薄暗い中、鄭州に列車は、滑り込む。
ここからの切符を、取ってから開封へ行こうと思ったが、買った地図には二天までの文字(この時、二天は明日だと思っていた、しかし、実際は明後日のことだった)明日の切符じゃ仕方ない・・と思い、開封行きのバスを探す。
駅前のバス停(汽車站)に、開封の文字は無く、聞いてみると違う汽車站から出るとの事。そこまで行くバスを教えてもらい、違う所にある長途汽車站に向かった。
「開封行き 大客車1.9元、小客車3.8元」の表示、迷うはずもなく、大客車の切符(票)を買う。
8時発の処に並んでいると、中国人が走り出す、何事かと思えば、バスに乗っている。僕の持っている切符は、ただの切符(席の指定などあるはずも無い:大同の連結バスは座席数こそ50席位だが、定員は185人になっていたのを思い出した)、乗り遅れると、席が無い・・・ザックを担いで、中国人の中に突進して行った。
どうにか席を確保出来たが、一体、開封までどれ位掛かるんだろうか?一人になると途端にアバウトになっている自分がいた。
ま〜遅くともお昼には着くんでしょう・・ザックを膝の上に乗せたまま、窓から外の景色を眺めていた
バスは10分間隔で出発していた、遠い処なら、そんなに便数が無いだろう・・と勝手に推測していたが、やっぱり、開封には1時間40分程で到着。
この広大な中国ではお隣さんみたいな距離。バスは汽車站に入り、みんなどっと降りて行く。一番最後から降りて行き、まずは地図を買う、そう言えば、朝飯をまだ食べてなかったので、站前の食堂で、水餃子を1.2元出して食べた。(皮がもちもちしていて、付けダレもちょっと甘い感じのものだった)
腹も膨れた処で、今日の宿探しに向かった。この街にも外国人が泊れる宿は少ない、開封賓館に目星をつけ、5路に乗り相国寺で下車、横目で見ながら、賓館に入って行く。
フロントで聞いてみると、バカ高い60元の部屋しか無いと言う。
「高い、安い処はないの?」聞くと、普通なら「知らない・無い」と素っ気無い答えが戻ってくるのだが、ここの人は親切で、「省第二招待所に行ってみなさい」と教えてくれた。
ただ、昔、招待所は中国人用の宿だから、外国人は泊められない・・と断られる事、数回。半信半疑で招待所に行ってみると、あっさり泊めてくれました、1天15元、しかも人民元でOK・・2泊すると伝え、30元を支払い、チェックイン。
初めての招待所泊、周りは中国人ばっかりだし、中国語しか通じない。大丈夫だろうか??と不安に少しなったが、何とかなるでしょう・・・と開き直った。(ただ、中国語を真剣に勉強しなくては・・と思った)
部屋で、少し落ち着いてから、観光に向かう。出かける時に風呂(シャワーのことだけど)の時間を確認したら、5時からだと教えてくれた。
今日は、相国寺と龍亭を歩いてみようと思った。相国寺は、すぐ近くで、2角を払い(もちろん中国人料金)中へ入ると極彩色の塑像が迎えてくれた。千手観音などの仏像もあったが、その前にあった三国志由来の塑像達の方がインパクトが強かった。
一人で観光するのも、そう言えば広州以来かな・・自由になったが、まだ少し淋しさもあった。相国寺を出て1路に乗り、午前門まで乗ると目の前が龍亭でした。昔の離宮を公園にした所らしく、土地の使い方(中国の土地の使い方はすごい、さすが国土が大きいだけある。建物も、広場も公園も日本とは桁が違う)が他の処よりゆったりしていた。
この街は、ゆっくり出来て大好きです。少し田舎の方が、人がいなくて落ち着けます。それに、ここに吹く風が気持ちがいい。どこか暖かく(暑いわけでなく)そして優しい風です。
急な石段を登り、龍亭の上に登ってみると、開封の街が一望できる。優しく吹く風に身を任せていると、今日の観光はもういいや・・と思え、ここで1時間位も風にただ吹かれていた。
下に降りて売店を覗くと、絵葉書が売っていて、「そう言えば中国に入ってから、便りを書いてないな〜」と思い、1セット買って東屋に向かう。ここも池の畔で風が吹き抜ける気持ちのいい場所でした。
折からの風の中、ペンはスラスラ走る。先日帰った妹たちにも書いたが、予定通りならば、今日、香港をフライトする、気をつけて帰りなよ・・・
ひととおり書き終わり、龍亭を後にしようと出口に向かうと、京劇かドラマのロケに出くわし、ちょっとの間、周りの民衆に混じって見学させてもらった。結構ハードな動きで、シーンが終わると肩で息をする役者の後姿が印象的だった。
外に出て、バス待ちの間、小腹が空いたので焼餅をひとつ食べたのだが、サツマイモの餡で、懐かしい味がした。
宿に戻ると、風呂の時間が何故か1時間遅れていて6時からになっていた。部屋の鍵を開けてもらい(ここは、鍵をくれずに、毎回鍵を開けてくれる方式)部屋で、時間までくつろぐ。6時過ぎに風呂に行き、体中を綺麗にした所で、夕食に。
外に出ようかを思ったが、今夜は宿の食堂でおかずを2皿頼んだら、お腹いっぱいになった。やっぱり、中華は一人で食うもんじゃない・・改めてそう思った。
翌日は、開封の街を当ても無く彷徨い、あちこちの裏道を覗いてみた。人が少なくていい感じです。気力も充填出来た感じがした。やっぱり、基本は歩きだな・・そう認識した日だった。
翌日、開封を出発するのに、6時にアラームを掛けたつもりが、何故か鳴らず、目が覚めたら7時になろうとしていた。
一人だとこんな時もある。荷物をまとめフロントに行くが、朝早いためか従業員の姿が見えず、カウンターの上に「謝謝、再見」と紙に書いて置いてきた。料金は前払いになっているので、いいのかな?。
3路に乗り火車站に向かう。この時は、今日の移動がどんなものか知る由もなかった。
まずは、鄭州までバスで戻り(このルートは行きに使っているので、時間も予想がついた)、火車站に行ってみるが、切符はどの列車も売り切れの表示。この何もない街で時間を潰すのも勿体無いと思い、次の目的地「洛陽」までの行き方を考える。
汽車站に戻ると、洛陽までのバスがある。20分ごとの発車で既に11時半になろうとしていた。11時40分のバスがあったので、切符を買おうと窓口に行ったが、喋るのが面倒で、紙に行き先とバスの番号を書いて「有没有?」とだけ話すが、すかさず「没有」と返ってきた。
「次のバスは?」と聞くと「有」と言うので「1張」と言って切符を買う。12時発の洛陽行き、一体何時着くのか?また、聞き忘れた。
12時少し前に乗車を始めて、見る見るうちに席は埋まり、通路にも人が溢れた、一体何人が定員なんだろうか?さっきのバスに切符があったら、本当に席があったんだろうか?そんなことを思って席に座っていた。
火車だと3時間の距離、ま、7〜8時間乗ってれば着くでしょう、遅くなれば、站にでも寝ればいいんだし・・と、いたって呑気な自分がいた。
隣に座っていたおっちゃんが、煙草をすぐくれる、自分が吸うときには人に勧めるのが礼儀なのか、その都度くれるのだが、北京で風邪をもらったらしく、喉が痛く鼻水が出て困った時だったので、本当なら断りたかったが、そうもいかず4本くらいもらった。(この後、喉の痛みはひどくなり、ちょっと声が出なくなったほど)
5時半頃に「洛陽」の看板を目撃、隣のおっちゃんが「パイマースー」としきりに言って来る。「なんだ??」と思うが、漢字が連想出来ず、「分からない!」と言うが、しきりに教えてくれる。指差す先を見て、ようやく納得、「白馬寺」(パイマースー)のことを教えてくれたんだ。「有名な寺なので、観光していかないのか?」とのことだった。
それから40分位してバスは汽車站に止まった、一体、ここは何処でしょう?廻りを見渡すと、火車站の看板、ここが站前なのか・・露店で地図を買い、町の形を頭に入れる。お腹がすいたので、味噌仕立てのソーメンを1杯3角で食べて、友誼賓館へ向かう。
広州市場で下車、丁度、鍋の屋台が出ていたが、まずは宿と・・・賓館に向かう。フロントで聞いてみると、「1泊60元、それもシングルしかない」と言う。余りの高さにディスカウントを要求したら、「隣に行きなさい」とあっさり言われた。
同じ友誼賓館らしいが、隣にはドミがあり、それでも1泊25元もした。この他で探す元気もなく、25元の要求を呑み、2泊する旨を伝えた(一度はディスカウントして、とお願いはしてみたが、「駄目だ」と断られた)
4人部屋には、日本人の女の子が2人いると聞いていたのだが、誰もいず、シャワー、洗濯と用事を済ませたら、動く元気がなくなり、部屋で持っていたお茶とパンを食べて夕飯にした。
今日は一日、移動で終わってしまった、やっぱりここ中国の移動は、ちゃんと時間を調べてからにしようと心に誓う。この日はいつの間にか寝てしまったらしく、朝まで煌々と蛍光灯が点いていた(同室の日本人は戻ってこなかったが?)
翌日は、龍門石窟を見に行こうと思い、早起きをするつもりが、起きたら既に8時。
バスで観光や移動するときは、降りる場所をしっかり伝えないと、乗り過ごすことが多い、でも、龍門は終点、しかし、距離8.3キロはいくら料金がかかるのか?不明。
もう、既にラッシュの時間は過ぎたのか、人通りの少ない舗道を歩いていく、道端で山水画の掛け軸を広げて商っているじいちゃんもひと段落していた(中国人も買うんだろうか?観光客が買うのか??疑問)
ようやくバスが来たので、乗り、服務員に1元を渡すと、5角戻ってくる、5角かかるなんて、洛陽は結構物価が高いです。(站から賓館までも2角だった、ほかの都市だったら1角の距離なのに)
バスは市街を抜け、田舎道に入っていく。ここも道が悪い(中国の道は綺麗に舗装されている道と未舗装の凸凹道とがあって、田舎はほとんどが凸凹道)バスは倒れるんじゃないかと思う程、傾きながらのろのろと歩く早さと変わらないスピードで走っていく。
45分くらい凸凹道と格闘した後、「龍門口」で中国人はどっと降りた。ここが龍門石窟の入り口。僕は橋まで行こうと乗っていたら、橋の中ほどが終点でした。ここからは、石窟の全体像が良く見え、岩肌に無数の穴が見える。
この石窟は、以前見た大同の雲崗石窟の後に造られた石窟らしく、都を遷都した時に一緒に石窟も引越ししたらしい。造りが大同の物と比べて、小さい窟が多いようなきがする。
入り口には、英語で案内が書かれており、外国人料金の設定がなされていた。そんなことはお構いなしに「1个」とだけ言い、くしゃくしゃな5角札を窓口に突っ込むと、中国人用の入場券が一枚出てくる。同じバスで行っていたヨーロピアンの女の子は兌換券で5元くらい払い、綺麗なパンフレットをもらっていた。さすが中国、差をつけている。
中に入り、石窟を見て歩くが、保存状態が良くないものが多い。途中で教えてもらったのだが(話好きな中国人のおっちゃんがいて、色々と教えてくれた)、文化大革命の名残で、石窟の顔を落として行ったとのこと。流石に大きいものは気がとがめたのか残っていた。全体的には、雲崗の石窟のほうが見ごたえがあるかも。
これで、敦煌の莫高窟を見れば、中国3大石窟を見るわけだし、ここ洛陽に来たので中国3大古都(西安、開封、洛陽)も訪れたことになるな、我ながら観光してる・・・。
お腹が空いてきたので(そう言えば、朝からほとんど口にしていない)、入り口を出た所の屋台で揚げパンとワンタンを食べたら、美味かった、特にワンタン・・お代わりまでしてしまった。
龍門帰りに、一度火車站に行き、明日の切符を取ろうと思ったが、窓口に群がる人民の数を見たら、戦意喪失。そう言えば、最近、列車内で外国人狩り(外国人が不正に乗車していないか、公安が検査している)があり、ものすごい金額の罰金を払わせられたと聞いた。人民料金で、長距離を乗って行くのは、ヤバイかなとも思った。
宿にCITS(中国国際旅行社)があり、今回は外国人料金で切符を買うことにし、明日の切符を頼む。硬臥(2等寝台)が取れればOK、最悪硬座でも仕方ないと思った(洛陽始発はないので、座席指定は取れない)
昼を廻り、もう2時になろうとしており、小腹が空いたので、広州市場に出掛けていった。店先に「鮮碑酒」を看板を見つけ、中を覗くと美味そうに碑酒(ビール)を飲んでる人が目に入った。冷菜を一つ頼み、鮮碑酒(瓶ビールでなくて、コップに注がれる生ビールみたいなもの)をもらう。1杯7角5分(15円くらい)でどれくらい飲んでも大丈夫なくらい安い。
久しぶりに飲んだビールで酔ってしまい、この後はふらふらと旧市街を散歩していた。レンガの赤や古びた建物が多くてスケッチするにはいいところです。でも、聞くところによると、外国人は行かないほうがいい所もあるらしいが、僕はそんなことはお構いなしに歩いていた。(本当なら危ない処だったのかもしれない)
夜も市場で一人で食事をしたのだが、頼みすぎたみたいでお腹一杯食べてしまった、ちょっと食いすぎの感あり。案の定、夜からお腹の調子が悪くなり、トイレを往復していた。(寝るときにお腹に何もかかってなくて、エアコンは効いていたのもあるが)
翌日、ゆっくり起き出し、荷物をパッキングしていると、12時近くになる。まずはチェックアウトしなくちゃと本館に向かう(泊まっていたのはドミのある別館)「荷物を預かってくれ」と言うと「1元です」と言う、お金取るのかよ・・・
CITSに行くと切符は取れていたが、かすかな望みの硬臥は無く、烏魯木斉(ウルムチ)までの硬座无座(座席指定なし)の切符、料金は兌換券で86元3角(約3400円)北京から鄭州に行ったのとほぼ同じ料金。
无座で烏魯木斉まで行けるだろうか?時間を時刻表でみると65時間くらい・・気が遠くなる位、長い移動になる、途中の蘭州や宝鶏で乗りかえろうかとも考えた。乗ってみて、しんどそうなら途中下車しようと思う。
5時頃に宿を出発し、站に向かう。前は2角だったのに、今日は1.5角だった、不思議なバス?。早めの夕食を炒麺で済ませ、ジュースや菓子餅を買出しする。
19時10分発の171次直快・烏魯木斉行きが今日の列車。あと40分位で入線の予定。19時を越えたところで、改札開始。ザックを抱えてホームに出るが、どのホーム(站台)に着くのか見当がつかない。黒板には171次の文字は無い。
丁度、同じ列車で烏魯木斉に行く中国人の2人連れと知り合い、3人で探していると、2番ホームに列車が入ってきた。横に書かれた列車番号は「171次」・・僕らの列車だ。急いで2番線に行き、中国人に負けないように入り口に突進する。
ここ洛陽のホームは低すぎて、降りるのは飛んで降りるようだし、乗るほうも列車に掴まったら腕の力で上がらないといけない状態。どうにか列車内には入れたが、既に満員状態。无座なので、仕方ないと思い、立っていたら、一人の中国人が話しかけてきた。片言の中国語と筆談で話を始めると、周りの注目度が俄然UPして、席を詰めて座らせてくれた。
しかし、さすが大陸の中国人、疲れを知らない・・代わる代わる質問攻めに逢い、年に始まり名前や職業、何処を旅したとか・・終いには物価の話まで、「白菜がいくらする?」とまで聞いてくる、いくらだっただろうか??
賢い硬座の旅は、身分を明かしてしまうことなのかもしれない。
車内が幾分空き始め、良くしてくれたおっちゃんが降りると二人がけの椅子を使って横になれるようになった。少し狭いが横になれるだけいいのかな?時間は既に夜中の2時過ぎ、乗ってから7時間位経った感じ。列車はまだまだ走る。
翌日も、変わらない風景を目に映し、またしても代わる代わる中国人の質問攻めに逢う、この日から、服務員も顔を出し始めた。この列車、女性のしかも若い服務員が多く、その一団が大挙して僕の席にやってきた。珍しいのと一番端の席に座っていたので、暇つぶしに周りを占領していた。(仕事はいいのか?とこっちが心配になるほど遊んで行っていた)
その夜は、椅子の上でも寝れたのだが、思い切って座席の下に潜り込んで寝てみた。他の中国人がやっていることなので、初めて寝てみたが思いのほか広くて、足が伸ばせるだけゆっくりかもしれない。その晩は、ゆっくり寝ることが出来た。
3日目さすがに列車内も飽きてきた。朝ご飯は、弁当を買ったのだが、これがいつも同じような弁当で、鶏肉(豚肉の時もある)と野菜の炒め物がご飯に掛かっている中華飯みたいな物。この日は、鶏肉だったが、鶏冠のついた頭がごろんと入っており、僕も大抵の物は食べるが、こればっかりは遠慮した。列車は蘭州も越え、荒涼とした大地をひた走っていた。
服務員が「向こうに日本人がいるから、ついて来て」と呼びに来たので、一緒に隣の車両に行ってみると、中国人の中にポツンと日本人が座っていた。またしても、質問攻めに逢うが、聞かれることはいつも一緒なので、流暢とまではいかないが、中国語で答えたら、中国人の驚きようったらなかった。
彼は敦煌の站、「柳園」までの乗車、少しの間、一緒に話していると、中国人のじいちゃんが流暢な日本語で話しかけてきた。話を聞くと、満州時代に日本人と仲良くしていて教えてもらったとの事。一体、何十年前の話になるんだっけ?。
先日、竹下首相が敦煌を訪れたと、新聞を見せてもらった。色々とじいちゃんから日本と中国の関係を教えてもらい、中国人の根底にある反日感情のひとかけらが見えた気がした。時々、「どう思う?」とストレートに聞かれて、困ることがある。確かに植民地支配をしていたし、南京大虐殺などの事件も起きている。今の僕たちに出来ることは・・?、いつも答えに困る。謝れば済む、話ではないと思うからだ。
じいちゃんは別れ際、「いい中国人もたくさんいるから、楽しい旅を続けなさい」と言い、竹下首相の載った新聞を僕にくれた。「ありがとうございます、話できて良かったです」と返事を返し、握手をして、じいちゃんは自分の席に戻って行った。
柳園に列車は入って行く。彼が降り、4人のコンパートメントが僕一人になると、また入れ代り立ち代り服務員が席に遊びに来た。隣のおっちゃんが、スイカを買ってきたらしく、僕にも4分の1を切って分けてくれた。瑞々しくて美味しかった、柳園の少し前辺りから、外の景色は砂漠と化していて、そんな景色を見ていたためだろうか、余計スイカが美味しく感じた。
僕の車両の服務員が誰かに似ていると考えていたら、「和泉雅子さん」に似ていた、他の服務員は、仙道敦子似や藤田弓子さん似など、バラエティ豊か。男の服務員はそう言えば見ていない気がする。
荒涼とした大地に陽が落ちる。時に9時30分、随分、西に走ってきたんだと思う。この広い中国で時差が無いなんてこと自体、無理がある。これからさらに西に向かえば、一体何時に陽が沈むんだろうか?新彊に入ると、ローカルタイム(通称新彊タイムが2時間遅れの時間を使っている)使っているらしいが、交通機関は北京タイムらしいので、どっちを基準にしたらいいんだろう?
陽が落ちた後、11時頃まで外は明るく、従って中国人も寝るはずも無く、僕への質問を容赦なくしてくる。延々という言葉を実感するように、夜中の1時頃まで中国人に囲まれていた。またしても、隣のおっちゃんが今度は葡萄を買ってきた。一袋8角で、向こうで売っていると教えてもらい、僕も一袋買おうと、行ってみると籠に葡萄を詰めて売っていた。おっちゃんに「いくら?」と聞くと「1元」と言う。「8角でしょ・・」と言うと、「1元」だと言い張る。僕も疲れてきたので、「8角!」とだけ言い、8角おっちゃんに握らせて、一袋もらってきた。席に戻ると、服務員も買ってきていて、一緒になって夜中に葡萄を食べた。その後、ようやく廻りが静かになり、寝れるようになったのは夜中2時を廻ってからだった。
最終4日目、最後の烏魯木斉まで乗っているとは思いもつかなかった。既に50時間以上硬座の旅を続けている、中国って広すぎる。それに、これだけ一気に移動するもんじゃない、体力が続かない。
目が覚めるとまだ5時半・・3時間位しか寝ていない。廻りの中国人はまだお休み中。ここぞとばかりにトイレに行く。朝、トイレに行くのは至難の業、中国人は、朝歯磨きをするのだが、トイレの洗面でするので、延々「有人」のプレートのままなのだ。お腹の調子の悪いときは、困りもので、一度服務員専用のトイレを借りたことがあるくらい。トイレから戻ると、また、眠りにつく、硬座はどれ位寝ても寝たりない気がする。
もう一度起きると、時計は9時を指していた。後、残り5時間くらい。起きてすぐ弁当屋が通ったが、まだ頭が起きておらず、買わなかったらその後、食うものが無くて困った。吐魯番に止まった時もホームに出て食い物を探したが、食い物が全然なく、ジュースだけでした。今日、食べたのは葡萄一房とハミ瓜1切れ(服務員が持っていたのを僕だけに分けてくれたもの)だけ・・腹減った。
長々と乗った171次直快・烏魯木斉行きの列車も、とうとう終点「烏魯木斉」のホームに入って行った。新彊ウイグル自治区の区都で、この地方最大の街です。時に9月1日午後2時15分、洛陽を乗ったのが8月29日午後7時23分だったから計算すると66時間52分、約67時間も列車に乗り続けたのだが、長いようで短かった旅でした。
しかし、よく硬座无座で、乗り続けた。多分この旅の最長記録になるだろうし、もう二度と硬座で長距離は移動しないでしょう。やっと、着いた・・これが正直な感想ですが。
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