中国紀行2・・西安〜大同〜北京

 妹が随分良くなってきたので、次の街の移動しようと思った。ここからどうするか?、何処に行こうか?考えたが、妹達と一緒に大同(タートン)を目指すことにした。郊外に雲崗石窟がある他、さして有名な街ではない。何処に魅力を感じたのか、妹達は「行きたい」と言った。
 列車の切符を日参して取ろうとしたが、硬臥(二等寝台)は何処も取れず、更に途中の太原で乗り換えなくてはいけない。果して妹は耐えられるだろうか?あちこち暑い中を歩き、どうにか太原までの硬座の指定席(262次・快客)は取れたが、その後は、太原まで行かないと切符は取れないらしい。西安→大同、トータル24時間くらいの移動・・なんとか頑張って行けるだろう。
 移動の朝、駅までタクシーを使ったら、注意ミスで余分にお金を払ってしまった(必ず、提示された金額が一人か一台か確認しないと、遠くに行く時はすごい出費になる、今回も一台分分だと思っていたら、一人分と言われ、3倍払ってしまった。観光客目当ての荒稼ぎがまだ多かった)
 西安の駅舎は大きく、待合室も何箇所かに分かれていて、第二待合室だったような気がする。列車は相変わらず、満員で出発し、駅に止まるたびに更に次々と客が乗ってきて足の踏み場も無いくらいになっていった。昼間の移動で、景色が見える分、気も紛れ、楽しそうにしていた。いつも思うのだが、列車の中の弁当がいつも同じ内容のような気がしてならない。野菜とソ−セージの炒め物がご飯に掛かっていて、料金も2元だった。やがて、太原着。急いで窓口に向かい、大同行きの切符を買おうとするが、手に出来たのは344次・快客の无座(座席なし)の切符のみ。もう既に暗くなっており、知らない土地でこれから宿を探すもの大変そうで、僕らは大同行きの覚悟を決めた。
 列車の中で、硬臥の切符を直接取ろうと車掌に頼んでみたが、あっさり「没有」の返事。仕方なく硬座車両に立っていると、中国人の兄ちゃんが席を代わってくれた。少し寒いというので、僕のザックからラグジャを着せて暖を取らせた。もう一人の妹も席を代わってもらい、僕は二人が座る傍の通路に腰掛けて時を過ごした。夜半、熱が再発・・周りの中国人が解熱の薬をくれた(ここでは、これが一番効くから・・と言っていた)席も横になれるようにと二人分の席を空けてくれた。この時は優しい中国人に囲まれていて随分と助かった。熱も少しは引いたみたいで、浅いだろうが眠りについた。
 僕は、周りの中国人にまだ覚えたての中国語で精一杯お礼を言い、会話をするようにした。一人のおばちゃんがくれた桃が、程好く甘くて、瑞々しくて美味しかった。夜行の列車なのに、電気は光々と点き、煙草の煙で充満していた。今回は辛い移動になったが、中国人民の優しさを余計に感じられた移動だった。
 大同に着いた日も雨だった。幸い終着駅だったので、一番最後に降りていく。僕がザックを二人分持ち、妹にはなんとか歩いてもらう。駅を出て、すぐ地図を買い、宿の位置と市内バスの番号を確認。市内バスにどうにか乗り込み、妹を座らせ、大同賓館へ向かう。宿の近くでバスを降り、宿に入ってフロントに行くが、まだ朝早いので、「部屋はない」の冷たい返事。仕方なくロビーの隅に腰を下ろして時間をつぶすが、妹は、辛そうにしていた。とうとう見るに見かねてか、一部屋を与えてくれた。「また、10時になったら、ここの来い。手続きをする」と言い、キーをくれた。ドミトリーに早速、荷物を運び入れ、全員泥のように眠った。起きるのが少し遅くなり10時を少し過ぎたが、どうにかチェックイン出来た。その日は何処にも出る気がせず、ベットにしがみついていて、夕食は近くでパンを買ってきて部屋で取った。
 翌日は、宿の食堂で朝食を取ったが、高いし、美味しくなく少し食べて食堂を後にした。妹は、咳が出ていたので休養すると言い、ベットに寝ていた。もう一人の妹と一緒に大同の街を歩いてみた。何処に何があるか?食い物屋や薬局、デパートなどなど。バスも使わないといけない所もあるが、ほとんどが歩いて行けるほどの街だった。妹に薬を買ってきたり、少し栄養のある物を食べようと近くの食堂に連れて行ったりしたが、なかなか良くならなかった。少し精神的にも悩んでいたので、その気がかりも回復を遅らせていたのかもしれない。
 妹の病状が2〜3日しても、一向に良くならないので、とうとう病院に連れて行く事を決めた。最初、医者に来てもらおうとフロントに話をしたが、「無理だ、病院に行け」とのつれない返事。タクシーを呼んでもらい、大同市第3医院に向かった。初めての中国病院、どうしたらいいのか途方に暮れていたら、近くのおばちゃんが色々と教えてくれた。院内を色々な検査に連れ回され、妹はぐったりとなっていったが、最後に決定打というべき宣告を受けた。「肺炎・・1週間は入院しなくちゃいけないです」。
 妹にとってはそのほうが良かったのかもしれない。ホテルの一室で寝込んでいるより、食事や治療をしてもらえる入院の方が・・・。僕の旅は一旦休止になった。僕はホテルに泊まり、毎日病院に通った。時には、隣のベットで昼寝をさせてもらったこともあった。
 大同の街は、普通の田舎の街だった。ただ、街中にも観光するところが何箇所かあった。まずは、「九龍壁」・・三大九龍壁(ここ大同と北京の故宮、そして同じ北京の北海公園にある)

中国人は「5大」とか「3大」とかが、とっても好きなようだ。三大石窟(雲崗・龍門・莫高窟)、五大古都(北京・西安・洛陽・開封・??なんだったっけ)、三大九龍壁などなど・・・・

 病院は、ちゃんとしていて、妹は日に日によくなっていくのが分かった。病院で食事を取ることも多く、「3人分頂戴」というと、用意してくれた。時々はもう一人の妹(倒れた妹に付き添って病院に寝泊りしていた)を誘って、大同の街を歩いた。気分転換にもなるし、物資の調達も兼ねて。中国は缶詰・瓶詰めが多い。当りもあるのだが、はずれも多い。一度、バナナの瓶詰めを買ったがさすがの僕も一口食べた後は辞退した。美味しいとか不味いとかでは考えられないくらいの味だった。失敗・・・。反対に肉の缶詰は、はずれが無かった。
 妹は、入院したことによって予定を大幅に変更しなければならなかった。「どうしても、北京は見たい」と言うが、今持っている帰りのフライトには間に合わない。香港→東京を延ばして、更に北京→香港をフライトすることで、どうにか時間を作った。さて、そのチケットの変更と取得を誰が何処でするのか?僕が一人で出来ればいいのだが、中国語がまだ通じ辛く、不安材料が残る。
 付き添いの妹と二人で北京まで行くことを決め、やらなければならないことを書き出して、準備した。幸い、夜行寝台の切符が、駅に払い戻しに来ていた中国人から買えたので、急遽当日の夜行(90次特快)で北京に行くことになった。急いで、一度賓館に戻り、身支度をして妹の待つ病院に向かった。病気の妹に果物の差し入れをして、「心配しないで待っていなよ」と言って、駅に向かった。駅は既に人が集まっており(この日も夜行列車が何台か止まるために)僕らの乗る列車を待った。
 列車が着いて、寝台に乗り込むと僕らの寝台に中国人が寝ていた、空いている寝台でちゃっかり寝ていたのだ、その人を起こしてベットに横になろうとしたら、車掌が切符の交換(寝台の番号の書いてあるプレートと切符を交換していく、降りるときに起こしてくれて、再度切符と交換してくれる)に来た。乗り込んだ時間が、もう0時を越えていたので、すぐ寝たのだが、寝たかなと思った頃には車掌が起こしに来た。まだ、夜明け前だよ・・・一番下に寝ていたので、起こされてベットをイスに変えられた。仕方なく座りながら少しううとうと寝た。
 朝早くに着いた首都北京は、すごい大きさと人の数だった。チケットの変更のためにキャセイ・パシフィック航空の事務所を探す。あちこち探してやっと探し当てたら、休憩の時間・・(いったい何時に働いているのか??)休憩が終わり、オフィスに入って日付の変更を願い出ると「Full」の冷たい返事。でも、交渉をしていると、「ビジネスなら変更できる、ただし追加料金が必要」との返事。止む無しとビジネスにアップグレードしてチケットを変更。次は北京→香港の中国民航だが、その前に今日、帰るチケットを取らないといけないと思い、駅に戻る。すごい数の中国人に混じってチケットを取ろうとしたが、どれも取れず、途方にくれた。
 取り合えず、中国民航のチケットを取ろうと北京飯店のオフィスに行くが、一足違いでクローズ・・・こっちも途方に暮れた。仕方ない、明日チケットは取ろうと話し合い、腹が減っていたので夕飯を食べたのはいいが、注文した物が来ない・・・とうとう他の物も食べ終わり精算した。「注文した物が来てない」とクレーム付けたが、「ごめんなさい」の一言もなし。(さすが漢民族
 次は宿探しだが、あちこち廻るも何処も「没有」の返事。どうするか?北京駅に戻ると、力車の兄ちゃんが声を掛けてきて、「宿を探してやる」との助け舟。その後、何件か連れて行ってもらうが、中国人民が使う旅社でことごとく全滅。もう既に夜中になっていた。北京駅に連れて帰ってもらい、料金を払う。二人分だと思った料金が一人分と言われ、倍払った。普段なら交渉やクレームするのだが、そんな元気もなく支払う。宿はないけど、明日までここにいなくちゃいけない・・・選んだベットは北京駅の床。幸い他の中国人も寝ていたので、多少は安心だろうし、まだ、床は掃除されていて綺麗だった。冷たい床は少し堅いことを除けば気持ち良かった。まさか、北京駅に寝るとはさすがの妹も思わなかっただろう、僕だって思わなかった。妹と二人、ぐっすりとはいかないが、朝まで床で眠った。
 翌日は、朝から民航のオフィスに行き、チケットを買い求め、取って返して大同行きのチケットを取ろうとしたが、やはり無理で无座(座席無し)の半券を取るのが精一杯だった。昼間の移動は久しぶり、車内で立っていると、中国人が座らせてくれた。妹を先に座らせて、僕はその後座らせてもらった。夕方、ようやく大同に降り立ち、病院に急ぐ。病気の妹は嬉しそうに、僕達を迎えてくれ、事の次第を報告して僕は病院を出た。宿に戻ると、部屋に鍵が掛かっていて、フロントに聞くと「昨日帰ってこなかったので、鍵閉めておいた」とのことだった。鍵をもらい、ベットに横になる。ドミトリーに僕が一人だった。一気に睡魔に襲われ、シャワーも浴びずに翌朝を迎えた。
 次の日は、妹が宿に来て起こされた。洗濯をしに来たと言う。しかし、妹は洗濯もそこそこにベットに横になって休んでいた。朝飯がまだだったので、余り美味しくないのだが中国製インスタント・ラーメン(本当に美味しいのが見つからなかった、干し海老ををいれたり、ザーサイを入れたりして味を変えて食べていた)をコップで作って二人で食べた。この味にもだんだんと慣れてきた。洗濯物を片付け、病院に取って返す。妹は、随分と良くなったのか、顔色に艶が出てきていた。ただ、まだ点滴はしているようで、血管が腕で取れずに手の甲で点滴をしていたので、可哀想なほど痛がっていた。ここの病院の先生も看護婦の人も見知らぬ日本人に優しくしてくれた。
 とうとう、先生から「退院してもいい」とお許しが出たのが、入院して1週間経った頃だった。まだ、大同の街も歩いてない妹は、少しリハビリを兼ねて半日、外出させてもらった。まだ、病み上がりの体だったので、ゆっくり歩いたり、バスに乗ったりして、街中を見て廻った。
 次の日は、郊外にある雲崗石窟をこれも半日の外出で観光に行った。まだまだ体力が万全ではなかったので、少ししんどそうだったがローカルのバスを乗り継いで石窟まで行ってみた。初めて見る中国の石窟群、ここは、洛陽に遷都される前に作られていた石窟らしく、時代がかなり古いものらしい。大仏もいれば、石窟内を仏像で埋め尽くされている処もあり、信仰の深さを改めて感じた。
 この時代で、この保存状態なら他の二つの石窟も期待できそうだと思った。
帰りのバスがまた満員で、少し心配したが、どうにか大同の街まで辿り着いた。帰りに市場で桃が美味しそうにしていたのを目ざとく妹達が見つけ「桃」と叫んだのを覚えてる。
 この後、僕一人フフホトに向かおうと思ったのだが、病み上がりの妹が気になり一緒に北京に行くことにした。また、駅に切符を取りに行ったのだが、硬臥は朝一番に行っても取れず(外国人には売ってくれないんじゃないかと思ったほど)硬座を取るのが精一杯だった。また、夜中に硬座の旅・・二度あることは三度ある・・三度目の正直・・色々な思いが頭の中をよぎる。
 退院の日も朝から点滴をして昼から外出、長々といた大同との街ともこれでお別れかと思うと、少し淋しい気もした。街中で時々顔を出していたイスラム食堂でご飯を食べて、夕方病院に戻った。精算を済ませ、久しぶりザックを担いで駅に向かった。
 この前、乗った列車の1本遅い列車に乗るため、待合室は前より混んでいた。列車が入ると4人掛けのシートに僕ら3人で、丁度同じ車両に日本人が一人いたので、席を替わってくれ、僕らの席は日本人で一杯になった。窓側に妹達を座らせ、僕は、テーブルにうつ伏せになって寝た。さすがに無理な体勢だったのか、浅い眠りに夜中に何度も目が覚めた。
 久しぶりの北京駅は、改めて人の多さに驚かされる立派な首都の駅だった。まずは宿探しだが、近くの飯店に行ってみるが、ツインで120元(4800円程)の声に3人固まってしまった。大同賓館は1泊一人10元だった。首都だから多少は高いのは仕方ないと思っていたが、120元、一人60元は痛かった。取りあえず、辞退して他を探すことにした。朝早かったので、まだ体力もあり、何件か廻ってみたが、「没有!」の攻撃に会い、ことごとく敗退。
 ちょっと離れた処に行ってみることにして、天壇体育賓館に向かった。バスで行ったのだが少し乗り過ごし、やっと賓館着。フロントで聞いてみるとツインで74元だったと思う。「没有」とは言わず、「待っていなさい」と言われたので、フロントの横で待つことにした。
 フロントにビールが売っていたので、1本買おうとしたら「兌換券」と言うので、元気よく「没有」と言い、「人民元」を差し出した。仕方ない・・という顔をして、人民元を受け取ってくれた。そうした所に、一人の日本人がフロントに現れ、ビールを買おうとしたら、やはり「兌換券」と言われ、「没有」と言っても許してもらえず今度は仕方なく兌換券を支払っていた。彼に聞くとツインに一人でいるとの事。一緒にシェアしてもいいか?と聞くと大丈夫だと言ってくれた。ツインを一人で借りるとなると出費がすごいから。妹達もツインの部屋が取れ、4人で部屋に向かう。やっぱり高い値段のことはある、今までで一番綺麗な部屋だった。
 昼御飯も食べていなかったので、外に出て食堂に向かう、ここに来る前に目を付けていた朝鮮風味の店に。韓国に旅した事が3人ともあったので、冷麺とおかずをオーダー、やっぱり中華になっており、ちょっとがっかり。
 その日は、妹が日本に電話をしたいというので、北京飯店に向かった(この前の北京に来た時に北京飯店でジャパン・ダイレクトを見つけていた)。丁度、北京飯店の前には、夜店の屋台が並んでいて夕飯がてら店を覗きながら歩いて行く。まずは、電話しようと北京飯店に行ったのだが、さすが一流のホテル・・短パンとビーチサンダルではちょっと気が引けるくらい立派なホテルだった。
 その一角にジャパン・ダイレクト(コレクトコールで日本のオペレーターに繋がる言葉を話せない人には便利な電話、ただコレクトコールしてもらえなかったら、電話できないんだけど)の電話は設置されていた。妹が掛けてみるが、どうも留守らしく呼んでも出ないらしい。「もう少し後で掛ける」というので、僕ら3人が代わる代わる家に電話をした。僕も、初めてコレクトで家に電話してみた。日本を発って1ヶ月半位・・みんな元気そうだった。その後に掛けてみたが、やはり留守らしい。がっくり肩を落としていたのが可哀想な程だった。帰りに屋台で食べて、バスでホテルに戻った。妹達ともここでお別れだな・・また、一人の旅が始まるんだ、と心の中で思った。
 次の日は、疲れていたのか誰一人起きず、9時過ぎまで寝ていた。妹達が部屋に来たのが10時過ぎ、それから話をしていたらホテルを出発したのが11時を廻っていた。
 今日は、遅くなったので、取りあえず前門まで行こうとバスに飛び乗る。着くと、もう昼、店を探し昼食にする。鳥の冷製(前菜なんでしょう)が棚にあったのをもらい、後は餃子(水餃子)を食べたような・・お腹も満足したので、前門に向かう。写真を撮ろうと思ったが、余りの大きさに構図が決めきらなかった。
 前門をくぐると毛主席記念堂が見えた。建物の中にはホルマリンに浸けられた毛沢東主席が居るらしい、僕はちょっと趣味じゃないので、辞退した。建物の周りにあった群像達のほうが僕としては興味をそそられた。中国人民を束ねてきた人が造る像だな・・と思った。
 そこを廻り込むと、目の前には想像を遥かに越えた天安門広場が広がっていた。10万人以上が集会出来るというそれこそ北京の顔。その先には、またまた有名な天安門が聳えていた。でもいつでも思うのだが、何処に行っても、中国人観光客がたくさんいる。一体、彼らは何時働いているんだろうか?と疑問になってしまう。観光地には写真屋が必ずいて、写真を撮ってくれる、すごいポーズを強要されなければ、一度撮っても良かったのだが・・・。
 天安門に向かって歩いていくが、なかなか近づかない、天安門に掛かっている毛主席の顔は少しづつ大きくはなって来ているんだが。やっとの思いで天安門の前の道まで辿り着き、地下道で道を渡り、天安門の前に立った時は、驚愕した。毛主席の額は日本人の感覚を越える大きさだった。さすが中国、大きさの単位が違うんじゃないかと思うくらい。天安門に登る事が出来た。但し、ここは中国・・料金が外貨兌換券で30元(1200円位)との事。(ホテルなら1泊、食事なら3〜4人でも食いきれないほどの料理が頼める値段)。貧乏旅行が染み付いている僕には、どうしても財布の紐を解く事が出来なかった。
 歩いていくと、日本で言う「リンゴ飴」が売っていて、姫リンゴが3つくらい付いて5角(10円くらい)だった。もうすぐ故宮の入り口なのだが、今日は時間が無いので、入るのを止めて、城壁に沿って後ろに廻る。そこにはひっそりと北海公園があり、シンボルの白塔が顔を覗かせていた。
 中には池があり、船が走っている。それに乗り、風を感じながら景色を眺めていた。ここで見たいものがあった。それは、「九龍壁」、先の大同とこれからの故宮のと合わせて3大九龍壁になるらしい。ここの九龍壁は極彩色で綺麗だった。そうしていると、雨が降ってきた。急いで、回廊に入り雨宿り。雨宿りの仕方も中国人並みです。雨が止んだ所で、外に出て宿に戻りかけるが、闇チェンしなくちゃ・・と、人民元が無くなってきていた。長安街で「チェンジマネー」の声が掛かり、レートを聞くと「180元」の声、OKを出して札束を数えるが、何時までたっても180元出てこない。もしかしたら、ここ北京では180元のレートは見せレートで実質は出てこないんじゃないかと思った。「175元でいいよ」と言ったら、一発で出てきた、やっぱり。
 昨日同様、夜市で食事をして、宿に戻る。明日は、故宮を観光しようと話し合って寝た。
 翌朝は、早起きをして北京を出るチケットを買おうと思っていたんだけど、起きられず行かず仕舞いでした。10時少し前に宿を出発し、前門に。朝飯を麺とおかずで取ったのだが、麺が冷やし中華風で美味しかった。こじんまりした店で値段も比例して安かった。
 天安門をくぐり、故宮の入り口に向かう。入場料は5角(約10円)、紫禁城・故宮の入場料がたったの10円です。日本じゃ100倍は取られそうです。中に入って行くと太和殿が見える。中和殿、保和殿と続く甍の波が綺麗だった。ここは黄色の屋根が使われているが、黄色が皇帝の色だった為、一般人は使えなかったと言う。建物もすごかったが、建物に上がる石段に一つ一つ彫刻がされているのに目を見張った。よくぞ、ここまで彫刻させたと、当時の皇帝の権力の大きさを見たような気がした。中の宝物は、台湾と別れる時に台湾に持っていかれたので、ほとんど残っていないんですが・・

 二つの故宮(大陸の北京にある紫禁城・故宮と台湾にある故宮博物院。本当は一つのものが革命によって二つに分かれた建物は北京に残り、宝物は台北に行った。台北の故宮博物院の宝物をすべて見るには8年掛かると言われた。それでも3ヶ月ごとに宝物を替えてのことらしいので、その宝物の多さは桁違い。一度見たこと事があるが、見応えのある宝物が多かった)

 故宮の中でも、中国人の商売心を見た。貸衣装で皇帝や皇后になって写真を撮っていた。立ち代り中国人は写真を撮っていたが、その列に日本人の姿を見た。ツアーなんだろうが、一体幾ら位するんだろうか?通路を歩いていくが、路地裏の表情を見せていて、本当に有名な紫禁城の中なんだろうか?と思うほど。
 その後は、やっと最後の九龍壁を見に行く。3つの九龍壁を見て、それぞれ面持ちが違い、面白かった。この広い中国で三つしかない九龍壁(まだ、あるのかもしれないな・・中国のことだから)を見て、少し中国を感じられた気がした。この後も故宮の中を歩いて、散歩した。彩色されているんだが、単色が多くて、モノトーンのような感じがした。僕がもう少し、ここが歴史の舞台になったときの事を知っていれば、感じ方も違っていたんだろうと思う。
 故宮を出た後は、北京の町を散歩した。王府井(ワンフーチン)通りを歩いてみたが、北京銀座と言われる程の賑わいが無かった気がした(時期や時間が良くなかったのかもしれない)
 北京に来て、連日観光している。今日は、顧和園と動物園に行った。顧和園は、中国ならでは広々とした池のある庭園だった。池の周りに長い回廊があって、そこの窓に総て絵が書かれていた。その膨大な数に驚いた。今日は、ミニバスで移動している。一度、使ってみたら、公共バスより、時間は早いし、すいている・・但し、料金はそれなりにするんだけど。妹の体調のこともあるので、無理しない範囲で遣って行こうと思う。動物園では、どうしても本場のパンダが見たいとプレッシャーが掛かっていた。妹達はここで見なければ、次は飛行機で香港だから、もう本場のパンダはいない。北京動物園に入ると、まずは猫熊舎(パンダ)の位置を確認。とりも直せずパンダを見に行く。いました、パンダ。僕もパンダは初めてだった、写真やテレビでは見たことがあるが、実物は初めて(これから後も実物のパンダは見たことがない)で、初めて見るパンダは死んだように寝ていた。その隣の檻のパンダもまたまた死んだように寝ていた。ここのパンダはどうなっているんだろう?と思ったが、その隣の檻のパンダは、元気良く歩き廻っていた。生きていた・・・それが実感。その後は、プレッシャーも無くなり、園内を散歩しながら見学。何処の動物園も、造りは変わらない気がした。その帰りに、前門の前にある旅行社で長城ツアーのチケットを買いに行く。中国人向けから、外国人向けまで・・値段は下手すれば10倍以上。ここで登場するのが、僕と同室になった学生。彼も中国語を勉強しており、風貌からしても中国人民で通せる。彼に日本豪華車の長城ツアーのチケットを買ってもらう。窓口も不審がることなく、人民料金で、チケットをゲット。1日掛かって、明の十三陵と八達玲の長城を観光するもの。
 翌日は早起きで、前門の待ち合わせ場所に。まだ、朝が早かったので(まだ7時少し過ぎでした)、弁当屋は空いてないし、包子(パオズ)とジュースで朝にしていると、来ました日野製のデラックスバス・エアコン付・・以前悟州→陽朔まで乗ったデラックスバスとは雲泥の差でした。最初は、明の十三陵の一つ、定陵。ここの地下宮殿がすごいとガイドにはなっており、地下に向かう階段を下りると綺麗に石積された広場に出た。死後も生活できるようにとの中国人の死後感の成せる技。この周辺には13もの陵があるらしい。次に見たところも形は前方後円墳なのだが、墳丘が無く、平面敷地だけ仕切りをつけ、先道の変わりに、1本の道をつけている。日本の古墳を見慣れていた僕には、どこか不思議な陵でした。
 次に向かったのは、長城(万里の長城)で八達玲という処。北京から近くてよく残っている処として有名。宇宙から確認出来る唯一の建造物らしい。一つの楼閣から長城の上に登るとそこは結構高い。石積のしっかりした造り、そうでなくちゃ、今まで残っていないか・・。少し歩いてみると、結構な坂が多い。ここは上を歩く事を考えていなかったんだろうか、次の楼閣までの間に手すりを使わないと登れない坂がいくつのある。登る時はいいが、下るときがもっと恐い。天気がいい日だったので遥か彼方まで見渡せた。うねうねと壁が山肌に続いている、そこに吹く風も気持ちが良かった。でも、ここで見渡せるのも長城の一部、全部の長城を見てみたいと思った。
 見学を終え、バスに戻ると麺包(パン)を売りに来た、実勢価格を知っている僕らはすぐさま「高い」と言い、半値でパンを買った。他の乗客にも売りに行っていたが、ことごとく半値にされて買われていた。彼は、半値にされる事に執着しないようで、運良くそのまま買ってくれればラッキーぐらいに思っていたんだろう、金銭感覚のしっかりしている中国人にそれを望むのは無理のような気がするのだが・・・。
 バスは、市内に戻り、前門で解散。散歩しているとケンタッキーフライドチキンの北京1号店を見つけ、とうとう社会主義の中国にもファーストフードが上陸したんだ・・と思った。しかし、そこは外国資本の店、当然外貨兌換券が必要で、貧乏人の僕らは、前門にある焼売屋に行った。ここのシステムは分かりやすくお皿に盛られていて「1斤:40個 3.75元」と書かれていた、それと冷菜をもらい食べたが、どうもお腹いっぱいにならず、夜市で少しお腹に入れてから、宿に戻った。
 次の日は朝から切符を買いに北京駅に5時半頃に向かう。改札開始は5時半なのにようやく扉が開いたのが6時半。でも、窓口には8時からブッキング開始の看板。その前に並んでいたが、「一度、外に出ろ」と扉の外に出され、鍵をかけられてしまった。8時になって扉が開いた瞬間に窓繰りに走る。どうにか2番を確保。今日のために時刻表で幾つもの列車の候補を考えていた。取りあえず開封という街に行こうと思った。列車では「鄭州」まで。窓口で順番が来たので候補を順々に挙げるが総て「没有」の返事・・「軟臥ならある」と言う。しかし、外貨兌換券でしかも軟臥では、出費が多い。考えようと、外に出て駅前で弁当を買い求む。そう言えば、何も食べてないからお腹が減った。妹達の分も一緒に4人分の弁当を買うと、1個1.5元で6元、「袋をくれ」と言うと、1角払えとの事。やっぱり中国人だ。弁当を下げてバスに乗りホテルに戻る。妹達を起こし、弁当の配給。 今日は妹達の最終日。明日は飛行機に乗って香港です。友誼商店(外国人向けのお土産物やみたいなもの)に行きたいと言っていた。一緒に行こうと誘われていたので、今日は妹達と最後の日を過ごすか・・と思った。彼女達の中国旅行はほとんどが二人でなく、僕を含めた3人の旅だった。日本を発つ時には考えもしなかった3人旅に中国病院の入院・・波乱万丈の旅をして良かっただろうか?と聞いてみたくなったが、言葉を押し込んだ。
 北京の街は、以前も来ていて(大同からチケットの変更に来た時)歩いたので、ある程度の位置は分かっていた。友誼商店の並びに京倫飯店があり、ここのカフェにはケーキがあった。妹達は久しぶりにケーキが食べたい(街中でもケーキは食べられるがバターケーキみたいにこってり、それにすごく甘かった)と言って、カフェに入って行く。僕も一緒に食べたが、日本で食べるのと同じくらいしっとりとしていて、それでも甘さは控えめな美味しいケーキでした。コーヒーも飲み放題だったので、何杯もお代わりしてしまった(コーヒーも久しぶり飲んだ、いつもは安い花茶(ジャスミンティー)をホーローのカップで飲んでいた)。
 友誼商店は大きく、品揃えも豊富だったが、ヤッパリ値段は高めなんだろうと思った。妹達は幾つかお土産を買い、持ってきたサブザックを一杯にしていった。お土産の調達も終わり、一度宿に戻り、荷物を置いて夕食に出た。今日は夜市でなく、レストラン(飯店)で食べたいと、言うので目をつけていた綺麗な飯店に入ってみた。中は豪華でメニューにも色々な料理が並んでいた。3人でおかずと御飯、そしてビールを頼み、夕飯にした。「約1ヶ月近くも一緒に旅するとは思いもしなかった」と言われ、僕の方こそここまで一緒に旅するとは思いもしなかった。楽しく談笑しながら食事をすすめた。
 食事も終わり、宿に戻るときにハミ瓜を買って帰った。今夜は、話したいと言うのでデザートにと。同室の彼も帰ってきており、4人で話を始める。懐かしかった思い出の数々・・元気で帰りなよ。住所交換や写真撮影をして夜中の2時半まで話していた。部屋に戻るときも名残惜しそうにしていた。
 やっと首都の北京までやって来た。これからは西域に向かって旅を始めよう。また、一人旅だが気ままにのんびりと旅すればいい・・まだまだビザはあるのだから。まだ見ぬ景色に心は弾んでいた、何があるのだろうか?未知の土地に出かけるときの高揚感が好きです。この後は、No3でゆっくりと・・・

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